『我が闘争(抄訳)』の全文
ウィーン時代
入学試験に見事落第
これまでにも私はウィーンへ二回来たことがある。その最初のものは、十五歳の時に二週間ばかりの休暇をウィーン見物に過した時である。第二回目は母が亡くなる少し前に、憧がれの美術学校の入学試験を受けに来た時であった。私はこの入学試験には必ず合格するという確信を抱いていた。私は相当の準備をし、それ迄に描いた沢山の絵を携えて学校の門を潜った。私は試験の結果が発表される迄の幾日間かを、まるでアラビアン・ナイトの中から抜け出したような環状道路の美しさに眼を瞠ったり、壮麗な議事堂の建物に驚かされたりしながら過した。
間もなく結果は発表された。誇りと自身に満ちてその発表を見に行った私は、しかし意外な結果に行当たった。私は不合格だったのだ。敢て白状するが、今日迄の私が、自分自身に不満を感じたのは、後にも先にも実にこの時一回だけであった。私はどうして不合格なのかを試験官に質した。が試験官は簡単に「君の絵には画家としての才能が不足している」と答えただけであった。しかし付け加えて「画家としては欠けているが、建築学校には適当している」と云った。
この言葉は私の不満と失望とを救う大きな役割を果してくれた。既に私の心はそれ以前から絵に対すると同様の熱が、建築に対しても起っていたからである。私は数日考え抜いた揚句、絵の方は諦めて、将来建築家になろうという決心を固めたのであった。
斯うして私は孤児として三度目のウィーン入りをしたのである。私の将来の希望は既に確立していた。私は悠揚迫らざる態度を以て、この希望を生長させるために、その日から生活との四つに組んだ戦いを始め出したのである。