『我が闘争(抄訳)』の全文
労働者からペンキ屋へ
人生の最初のスタートであるウィーンの五ヶ年は、物質的に見て、私にあらゆる過酷な鞭が加えられた。貧苦の女神は常に私の上にのし掛かって押潰そうとしたけれども、その力が強まれば強まる程、之に抵抗する私の力も強さを加えて、遂には私は、この貧苦の女神を母とすることに感謝するようになった。後年私が如何なる困苦にも動じないだけの力を持つ事が出来たのは、一にこの時代の試練の賜と云わなければならない。
とは云え、この五ヶ年の思い出は、決して楽しいものではない。どの思い出の中にも悲しみが裏打されているのである。ウィーンこそは私にとって、悲痛と困苦と欠乏との五ヶ年間を意味する忘れ難い都なのである。働かねば食えない私は、ウィーンへ来た最初は労働者の群に混じって、その日のパンを得ていたが、間もなく小さなペンキ屋を始めた。而も之等の仕事から得られた銭では、時として激しい飢えを我慢しなければならない程惨めなものだったのである。
歌劇が好きな私は、少しでも余裕があると歌劇を観ることを楽しみにしていたが、それ以外は、何と云っても読書が唯一の楽しみであった。私の知識は、この当時の貪るような読書に依って大方組立てられたと云ってもよいであろう。
この読書は私の知識を組立てたばかりではなく、私の人生に対する心象(イメージ)をも作り上げた。私の心に生れたイメージは、私の行動の確乎たる中心をなすものであった。しかも青年時代に生れたこのイメージは、今日に至るまで少しも修正を加えられていない。また之を変える必要をも感じた事がない。
実に人生のイメージこそは、青年時代に確立されるおのであることを、身を以て知ったのである。将来に対する設計図は青年時代において組立てられねばならない。成人してからはこの設計図に従って組立てたり実行したりするだけのことである。