『我が闘争(抄訳)』の全文
毒蛇のとぐろ
私の少年時代は、ブルジョワ階級の家庭に育ってきたので、労働者のことについて何一つ知らなかったし、知ろうとも思わなかった。然し運命の神が偶然にもこの労働階級に突き落としてからの私は、嫌でも応でも貧しい人々の生活に直面して行かねばならなかった。その時からして私はもう盲目ではなくなった。私には人生というものの両面が次第に明瞭な形となって理解出来るようになり始めた。人間の空虚な偽りや粗暴な側面と、その中に潜められている内面的な性質との区別がつくようになって来たのである。
当時のウィーンは、社会的に見て決して健全な都ではなかった。というよりも怖ろしく不健全な状態にあった。ハプスブルク王家の強引な中央集権政策は、ウィーンの中央に壮麗目を奪う大宮殿を出現させ、諸々の貴族や高官や富豪連の邸宅が櫛比していたが、これを取巻く外廓の世界には、ボロ切れのような貧民や、食うにパンなく、寝るに家なくして橋の下や不潔な運河の岸に、ごろ寝をしている無数の人間が充満していたのである。
正にこの有様は毒蛇がとぐろを巻いているにも等しいものであった。しかし何故これが毒蛇のとぐろであるかは、その毒牙にかかったものでなければ到底分からない。実際の体験を持たぬ者共は、この惨憺たる状態を見て、徒らに感傷的な同情を寄せたり、皮相な饒舌を繰返しているが、こんなものは有害でこそあれ決してこの状態を救い得るものではない。感傷家達は問題の中心を見失うし、饒舌家達は問題の核心に透徹し得ないからである。
社会事業を上から試みて、この不健康な状態を是正しようとする人々は、心の中に愚かにも感謝を期待している。しかしそれが何を意味すると云うのであろう。斯かる人々はその好意を売物にして、鵜呑みの社会事業などを試みるよりも、寧ろ人民の権利を回復することに努力すべきである。
一介の労働者として働く私にとって、日々のパンを稼ぐ機会を逸して、止むを得ず空腹を我慢しなければならなかったような日は、私にとって最も暗澹たる頁であった。労働の経験を持たぬ私は、非熟練工として仕事を求めねばならなかった。非熟練工の仕事は簡単に求められたけれども、それは失われることも亦簡単であった。斯うして私は毎日パンのために、日々を追っかけ廻されねばならなかったのである。