我が闘争(抄訳)
『我が闘争(抄訳)』の全文沈黙の征服者英国
今日迄のヨーロッパに於ける強力政治の足跡を検討してみると、次のような結論が生れて来る。
先ずイギリスである。イギリスは欧州本土から離れた地の利を占めて、三百年このかた、全欧州諸国家の勢力を平衡させ、それを維持することに依って全欧に支配的勢力を持ち続けて来た。従ってイギリスの背後を脅かし得る何物もなかったから、思いさま冀足を伸ばして、殆んど全世界にその勢力を植えつけることが出来たのである。
英国史を注意して読めば、エリザベス女皇以後のこの国が、如何に英国以外の強国の誕生を怖れ、徹底的にそれの防止と抑圧とを計って来たかと云うことが、誰にでも気付かれる筈である。
イギリスは決して戦いを怖れたりする避けたりする国家ではない。一見弱々しい商業国の如く見えるけれども、欧州内に英国を凌駕する程の国が生れようとしたり、その商業貿易上に於てこの国の進展を阻害するような国が出て来た時には、情容赦もなく大軍を動かして、その国の息の根を止める手段をも講じ得る国家なのである。
海洋に於ける覇を競わんとしたスペインとオランダとは、敢なくもイギリスのこの方針のために抑えつけられてしまった。間もなくフランスが次に目標となり、最後にナポレオンをワーテルローに於て撃砕したのである。
ドイツはまだ、この頃は国内的に統一を欠いていたので、英国の目標となるところまでは到っていなかった。しかし一八七〇年以後の普仏戦争があって後は、漸くドイツの中に、将来の危険を感ずるようになった。斯うして、英国の心中に一種の警戒が生れかけていた時に、計らずもドイツの指導者が、経済による世界征服の方策を樹てたのである。この新しい方向は必然的に英国と正面衝突を捲き起す運命を持っていた。事実に於て英国は、此の時からして既に、如何なる事があってもドイツを打倒しなければならぬということを決意したのであった。
この目的のために英国は、ひそかに同盟国を集めにかかった。要するにそれは英国自身の世界制覇を強化せんがために、他国の力を利用するという、英国一流の狡猾な政策には違いなかったが、ドイツによっては容易ならぬ世界情勢だったのである。