我が闘争(抄訳)
『我が闘争(抄訳)』の全文我が突撃隊
恐怖手段は打破し得ず
一つの国家の黄金時代と云うものは、その国民の最高の水準にある者が、その国の支配者となった時にのみ現われる。
国家の発展が正常的な歩みを続ける時は、それは国民の中の中間群の勢力が平衡を保っている時である。
国家が衰退の歩を辿るのは、その権力を最悪の分子が掌握した時に限られる。
さてこの中間層であるが、この階級の人達は、彼等自らの中に何等指導性を持っていないものである。両極端が相戦っている間は、この中間層は自らを指導者と考えるが、何れかの方が勝って彼等の上に臨んで来ると、わけもなくその方に靡いて行くものである。最善の分子が勝利者となった時之に従うのは当然であるが、最悪の分子が勝った時にも、敢て之に反抗を試みようなどとの気持を起さない。
ドイツは大戦に於て最善の分子を大方戦場の露として失ってしまった。その結果ユダヤ人や共産主義者の屑がドイツの政治を牛耳るようになったのだ。ブルジョアはユダヤ人と手を握り、大衆は共産主義の捕擒となってしまった。
この時に当って我がナチ党が生れたのである。
ナチ党はブルジョア諸党のように「過去を回復する」ことなどは全然考えていない。飽くまでも新しい民族国家を現出せんとするのが目標であり理想である。
この若々しい血を持った新運動は、創始の日から、その理想は精神的に表現すべきではあるが、運動を防衛する手段としては、肉体的な実力に頼らなければならぬことを固い信条としている。
過去の歴史の中には、新見解に立脚する世界征服の道具としての恐怖手段(テロリズム)が、形式的な国家権威などでは、到底打破れないものであるということの証左を、至る所で証明しているからである。
現在のドイツの状態は、マルクス主義的支配者の手に完全に掌握されてしまっている。従って国民の大部分も亦之に屈従している。斯うした環境の中から、どこまでもナチ党の信条を押し立て、それを貫徹するためには、どんな角度から考えても、之等の国際主義者から自分自身を、そして世界に提供するところの新しい理想を防衛しなければならない。防衛するに足るだけの何等かの機関を持たなければならない。それは単にナチ党のために必要なと云うだけではなく、ナチ党の背負うべき義務でもあるのだ。