我が闘争(抄訳)
『我が闘争(抄訳)』の全文二発のピストル
当夜八時少し前に私は会場へ到着した。会場は既に満員であった。勿論その中には、我々を襲撃する手順を整えた敵が多数割り込んでいることは分っていた。そこで私はホーフブラウハウスへ着くと直ちに、私を待ちうけていた四十五、六名の突撃隊員を整列させて一場の注意を行った。「今晩こそ君達が君達の信念を発揮すべき絶好の機会である。死んで担ぎ出されでもしない限り絶対にこの会場から出てはならない」と激励した。私自身も飽くまで会場に頑張る。そして若しも君達の中から一人でも臆病者を見付け出したなれば、その者から容赦なく腕章をもぎ取ってしまう、とも云った。これに対して、平素よりも何倍か力強い「ハイル!」の三唱が答えられた。
愈々私は会場に入っていった。そこには私の敵兵が手具脛引いて待ち受けていた。彼らの敵意に燃えた眼は一斉に私を睨みすえた。その数は想像よりも遙かに多いものであった。ホーフブラウハウスはビヤホールである。だから私の演説は、いつもそのホールの隅にテーブルを置いて、その上に立ってなされるのであった。その晩もいつものように私はテーブルの上に立上って演説を始めた。
私の眼の前には、敵が幾固まりにもなってテーブルを占領し、ビールを飲みながら私を見凝めていた。彼等は主としてマッフェイ工場や、クステルマン、イザリア等からやって来た者達らしかった。彼等はビールを飲みながら巧みにその足の下に、弾丸となるべき空のコップを集めていた。
私の演説に対しては、予期していた通り盛んに反対の声が起きた。しかし私はそれを無視し、或は抑えつけて演説を続けて行った。そしてその会場の雰囲気は、明かに私が支配しているように思われた。そのために、敵の指導者達がいらいらし出した。所々で小集団を作って、何事か耳打ちが始まった。私は充分注意して、彼等に妨害の隙を与えないつもりでいたのであったが、一寸したはずみで、心理的な誤りを犯した。その言葉を吐いてしまってから、私はしまったと思ったが、もう遅かった。待っていたように嵐が始まった。その数瞬間は、実にひどい騒ぎであった。突然一人の男がテーブルの上に立上ると「自由!」と叫んだ。それが合図らしかった。忽ち部屋全体が修羅場と化した。コップが飛ぶ。組打ちが始まる。椅子の足が折れる。テーブルが壊れる音がする。
その中にあって、私は依然私の位置に立ちながら、突撃隊員の猛烈果敢な闘争振りを見守った。彼等は狼のような勢いで敵に飛びつき、そいつ等を打ちのめしたり、場外へ追放したりした。五分間の後には、血に塗れていない者は一人もないと云った有様だった。私はこの時始めて心の底から突撃隊員の信念の強さと勇敢さに打たれた。実に有為の人材をその中から何人か見出すことが出来た。例えば私の忠実なモオリス、私の現在の秘書ルドルフ・ヘスその他、何れも身に重傷を負いながら、更に屈する所なく死に身に働いて呉れた人々を本当に知ることが出来た。
二十分後には、敵はあらかた場外へ追い出されてしまった。その数たるや我々の僅か四五十人に対して、実に七、八百人もの多数だったのである。
突如会場の入口から二発のピストルが撃ち込まれて来た。その音は、戦場生残りの我々の心を、更に勇み立てる役にしか立たなかった。猛烈な撃ち合いが始まった。そして二十五分の後には、会場こそ散々に荒らされはしたものの、再び元の静粛な状態に戻った。それを見て、この晩の議長ヘルマンユッセルは「よし、会合を継続する。辯氏発言」と宣言した。
私は再び演壇に立って、遂に終りまで話した。
我々の会合が完全に終った頃になって、物々しく興奮した警察副署長が乗り込んで来た。そして両手を広げながら叫んだ。
「この会合は解散を命ずる!」
私はこの如何にも間の抜けたお役人と、その典型的な自尊心に、思わず失笑せずにはいられなかった。とまれこの会合は我々にとって、いろんな貴重なものを齎した。我々としても大いに学ぶところがあった。しかし我々の敵はより以上に我々が与えた教訓も脳天に感じたに違いなかった。