我が闘争(抄訳)
『我が闘争(抄訳)』の全文突撃隊は斯くして生れた
当局から手篤い庇護を受ける集会は、その庇護が手篤ければ篤い程、民衆の信頼からは遠ざけられるものである。
勇気と力のある、所謂男性的な線の太い男が、柔和で臆病な男よりも、容易に女の心を獲得し得ると同様、英雄的な行動は、当局の庇護の下に生きのびるような臆病者達の運動よりも、遥かに国民の心を捉え得るというのが私の持論である。
この見地からして、私は最初の民衆大会の時に、私が軍隊にいた頃から十分気心を知り合っている青年のみを集めて「突撃隊」を組織した。この突撃隊こそは、我々自身を護る唯一の武器であり力であった。それと同時に、我々の会合がそこらに転がっている討論クラブなんかではなく、主義と運動のためには、団員の凡てが、最後の血の一滴までも喜んで流すという強い観念を持ったところの「闘争する集団」であることを、汎く天下に知らしめようとする意図も亦含まれていた。
突撃隊の組織に当って、私はその隊員に繰返し繰返し次のようなことを説いた。即ち突撃隊の使命を説明した後、世界の凡ての知識も、如何に優れた智慧も、力がそれを防衛し守護しなければ決して役立つものではない。平和の女神は単にそれだけではいけない。戦争の神と手を握ってこそ始めて真の歩行が出来るのである。―私が斯う語った時、彼等全員の瞳は何と云う生々とした輝きを見せたことであったろう。軍隊勤務の観念は、彼等の心をこの仕事の上に充分の熱を以て突入させることが出来たのだ。
彼等の戦い振り、それは勇ましさそのものであった。彼等は我々の会合を粉砕しようとするものを見付け出すと、弾丸のように飛びついて行って、向う見ずな程の勇敢さを以て、相手を叩き伏せる迄戦った。彼等の頭には、我々の神聖な使命のことのみが一杯になっていて、傷や血の犠牲などに対しては毛頭考えて見ようとしなかったのである。
一九二〇年の夏には、既に突撃隊は正規隊の形をとり始めていた。そしてその翌年の春には、之等の勇敢なる闘士が数百人から成る中隊に分たれ、それがまた更に小さな分隊に区分された。
そこで私は、この国際主義者共と勇敢に闘う同志のために、その心を象徴する何かの標章が必要だと考えるようになった。私は大戦直後、ベルリン王宮前で行われたマルクス主義者の一大示威運動の光景を思い出した。あの時、あの広い王宮前を埋めつくした赤旗、赤色の腕章、赤い花―それは如何にも強烈な情熱を喚起する力を持っていた。
その後一九二〇年迄、マルクス主義者は、まだ旗によって対抗されたことを知らない。彼等の敵であるべきブルジョア階級は、旗を作るどころか、最早彼等に対抗出来る意見さえ持合わせてはいなかった。
旧ドイツ帝国は既に死んでしまっている。それに代って我々は今新しい国民と新しいドイツを生み出すべく運動を始めたのだ。それが故に我々がマルクス主義者の面前に振り翳して、彼等にも国民にも知らすべき旗には、この新しい国民を表象しなければならなかった。同時に我々の闘争の意志をも表わさなければならなかった。問題を単なる旗や標識のことだけだと軽視しては不可ない。大衆に関係し、大衆が如何なるものであるかを知っている人々には、この問題の重要さが、よく分る筈である。力強い標章が民衆の心を捉え得たなれば、既にそのことだけでその運動の行手に大きな力と光明とが与えられるものなのである。