我が闘争(抄訳)
『我が闘争(抄訳)』の全文赤色党員との格闘
我々の会合では、屡々赤色党員と我々との間に、本当の格闘が演ぜられた。我々の会合を破砕して来いと云う指令を受けて、こっそり聴衆の間に割込んでいる赤色党員は、種々の方法と手段とに依って、この指令への責任を果そうとした。しかしその都度、恐怖というものを知らぬ我々の防衛隊が、勇敢に之等の妨害者に突撃して行って、激しい格闘の後に彼等を押えつけてしまうのが常であった。
今我々と、この赤色党との関係を振り返って見るのも興味のないことではない。
最初マルクス主義の指導者は、その党員に対して、「ナチ党なんかに構うな」と命令した。全然目も振り向けないことに依って、彼等の優位を誇ろうとしたわけである。しかし会合を開く毎に、次第に聴衆が多く集まって来るのを見ると、そろそろ気にせざるを得なくなって来た。このままだと、ことに依ると存外大きな勢力になるかも知れぬ。これは今の中抑えつけて了わないと不可ないと考え始めた。そこで腕に覚えのある赤色党員中の闘士が、我々を殴り仆すために派遣されるようになった。しかし案に相違して、その勇敢なる闘士が逆に我々の防衛隊のために叩きのめされた。叩きのめされたばかりでなく、それらのマルクス主義者の中から、心より我々の説に耳を傾ける者を相当出すに至ったのである。茲に於てマルクス主義者は、彼等の教義に一抹の疑惑を抱き始めると共に、ナチ党の容易ならざる力を改めて認識せざるを得なくなって来た。
無視・嘲笑・攻撃・黙殺・弾劾
これは赤の指導者にとっては容易ならざる事態であった。何とか打開の途を講じなければ、意外の深傷を負わされるかも知れない思い始めた。そこで次に執った彼等の指令は、ナチを回避すべしというのであった。
しかし回避するには、我々の会合は余りにも大きく、華々しかった、避けんとしても到底避け得ざるものであった。そうと知ると彼等は、再び我々の会合を押潰すべく、以前にも増して強い粉砕手段を講じて来た。だがそれも所詮は永く続き得るものではなかった。困惑し切った赤の指導者は、最後の切札として、その党員に次のようなスローガンを示したのである。曰く
「労働者よ! ナチの君主主義的反動者の会合に目を向ける勿れ!」―
一蓮托生の関係にある赤色新聞も、之と殆んど同様のコースを以て我々に当って来た。
最初之等の新聞からは、ナチ党は完全に無視された。その次には嘲笑であった。嘲笑し切れぬと思うと猛烈に攻撃して来た。攻撃が応えないと見ると黙殺しようとした。しかし到底黙殺出来ぬ努力であると観ずると今度は弾劾へと方向を転じた。
私は之等のことに対しては決して無関心ではなかった。しかし彼等が如何なる手段を以て我々の前進を妨害して来ようとも、また聞くに堪えぬ悪罵や嘲笑を浴びせて来ようとも、彼等が我々を労働者の眼前に置きつづける限りは、究極の勝利は我にありという見解を固く抱いていた。
斯う云う敵を向うに廻していながら、我々には我々以外に保護者という者を持たなかった。当局の保護などは頼りにならぬこと、夥しい限りであった。そこで我々は自分達の会合を護り、自分等の手で平和を守らなければならなかった。警察そのものを見ても、彼等は我々の邪魔をする者のみを助けて、我々は眼の仇の様に取扱われていたから、警察の援助なんかは却ってこちらからお断りしたい程であった。「法と秩序」を振り翳して、我々の会合がまだ始まりもしない中から解散させたり、矢鱈に禁止を食わせるのが警察の役目だと思っているかのようだった。
こんな環境の中に置かれた我々は、常に騒ぎが起きたらその瞬間に、我々の手でそれを抑えつける用意をして置く必要をしみじみと感じたのである。