我が闘争(抄訳)
『我が闘争(抄訳)』の全文赤色との戦い
ライプチヒの記念日
一九一九年から二一年にかけて、私は屡々ブルジョアの会合に出席するの機会を持った。その中で特に彼等の会合らしい異彩を放ったものが今以て記憶の底にこびりついている。年は忘れたが、それは「ライプチヒの戦い」の記念日であった。ミュンヘンのワグネルザールの会場で、その日、或る威厳のある大教授の講演があるからとの招待を受けたので出掛けて行った。壇上にはこの会の委員達が並んで腰掛けていた。中央の片目鏡なしの男を挟んで、右にも左にも片目鏡をかけた男が、ひどく真面目な顔付と服装とをして腰掛けていたので、全体の印象が、まるで誰かが死刑の宣告でも受ける法廷でもあるか、それとも厳かな洗礼式と云った格好であった。そうした厳粛裡に話しが始まったが、それが四十五分も続くと、聴衆の中ではそろそろ居眠りを始めるものが出て来た。
私の前に丁度労働者が三人いた。彼等は勿論このブルジョア達の会合を妨害する積りで出かけて来たのであろうが、暫くするとお互いに顔を見合せてせせら笑いを始めた。そうして、三人とも静かにこの会場から出て行った。これが先ず彼等のなし得た最大の妨害であった。要するにまるで生気も何もない、麩のような会合に過ぎなかった。
之と較べると、我々ナチ党の会合は血走るような緊張を持っていた。我々の会合は決して静かであったことがない。そこでは二つの相異なった世界観が火花を散らして闘った。そして閉会は、ブルジョア連のそれのように、弱々しい讃美歌か何かで終るようなものではなく、自然の情熱の噴出する爆発的な熱を以て幕が閉じられるものであった。