我が闘争(抄訳)
『我が闘争(抄訳)』の全文敵の武装を解除せよ
斯うした反対者を目標に演説し、それを説き伏せる努力を続けているうちに、私は或る一つの重要なことを感づいたのである。それは先ず攻撃に先立って、相手の武器たる「反駁」を、いち早く叩き落してかかることであった。この必要から従来「ヴェルサイユ条約」としてとして表題をつけていた私の演説を「ブレスト・リトヴスク条約とヴェルサイユ」と云う工合に変更した。何故なれば、私がヴェルサイユ条約について演説して行くに当って、私の敵共がブレスト・リトヴスク条約について駁論の矢を放って来る紋切型の言葉を覚えてしまったからだ。私のヴェルサイユ条約に対する攻撃に対して、彼等はブレスト・リトヴスク条約の或部分を挙げて、私を参らそうと企てていることを知った。そこで私は右の通り表題を変えると共に、彼等の反駁の言葉に就て慎重に考えた末、充分なる「打って返し」を用意した。
私は右の二つの条約について、一章一章を丹念に比較研究した。そして演説を開始するや、ヴェルサイユ条約が最も残虐なる非人道的条約なるに反し、ブレスト・リトヴスク条約は如何にロシアに対してドイツが人間的な情味をふんだんに盛り上げているかを一々実例を挙げて之を示した。そうして私の反対者共がリトヴスク条約を担ぎ出し、反駁して来る途を完全に遮断して、予想外の大成功を収めたのである。
私は、ヴェルサイユ条約程「生きている問題」はないと信じた。従ってこの問題に対する私の演説は、集会毎にいつ果てるとも分からぬようにすら思えたのである。だから私は、この弾劾演説は何度も何度も繰返して行った。そしてその間に演説の内容を整理し、聴衆の心に、私と同様の考えを力強く叩き込んだのであった。
斯うして集会毎に演説を繰り返す間に、私は次第に演説のコツなるものを会得するようになった。
私はまた条約に関する宣伝用のパンフレットをも書いた。そしてそれは印刷に附せられて広く一般にバラ撒かれた。最初の会合の時にはパンフレットや新聞その他あらゆる宣伝文書がテーブルの上に溢れているのが目立っていた。しかし何と云っても最大の力点は、そうしたペンや活字の力よりも、直接大衆に呼びかける「言葉」そのものにあることは忘れなかった。
演説者はその舌を剣として、短刀直入に聴衆の心に迫り、之を動かすことが出来る。特に敏感なる演説者は、最初の数分間に於て、この聴衆を補足するには、如何なる態度が最も有効であるかを正確に知ることが出来るのである。且又その聴衆の如何に依っては、臨機応変に自己の主題の表現をも変えることが出来る。このことは、文筆のよく企て及ぶものではない。