我が闘争(抄訳)
『我が闘争(抄訳)』の全文最初の公開演説
ところが、七時になって開会を宣する時には、実に百十人もの聴衆がこの室に充満したのであった。私はこの異常な成功に驚喜した。
当日の中心的な演説は「ミュンヘン」の教授が行った。私の順番は二番目であった。私は緊張した何となれば、この演説こそへその緒切って以来初めての公開演説だったからである。党の議長だったハーラー君は、私が演説すると云うことを非常な冒険だと考えていた。彼はヒットラーは他のことなれば何でも出来るが、演説だけは駄目だと思い込んでいた。そしてこの意見はその後も相当長く変えようとしなかった。
しかし私は割り当てられた二十分間のために演壇に立った。私は予定の時間よりも多く三十分間を懸命に饒舌った。この演説は私自身に一つの大きな自信を持たせてくれることになった。何となれば、私の演説が終わった時、聴衆は電気に打たれたようになっていたからだ。そして私が我々の運動のために寄付金を求めると、忽ち三百マルクの金が集まったのである。この金はその後どんなに我々のために役立ったかしれない。斯うして私は私自身ですら多少危ぶんでいた「演説が出来るかどうか」と云う疑惑を、一夜のうちに吹き拂うことに成功したのである。
ここで少し同志のことを云うなれば、はじめて国民議長らしい議長となったハーラー君はヂャーナリストであった。しかし嘗て大衆に向かって演説した経験もなければ、また出来もしなかった。ミュンヘン集団の議長ドレクスラーは一介の労働者であって、演説など到底なし得るものではなかった。その上彼は軍人でもなく、戦争中と雖も一度も軍服を着たことがない。結局その事実を裏書きするように、性質そのものが弱々しく、優柔不断に属するタイプの男であった。
見渡したところ、この党員の中には、我々の究極に於ける成功を、熱狂的に信じ且つ実行に移せるだけの資質を持っている男は、一人として見当たらなかった。また我々の運動に対して、その行く手に立ち塞がる者を、暴力を以てしてもねじ倒そうとする力を持つ者もいなかった。運動の目的が容易ならざるものであるから、この仕事には、精神的にも肉体的にも、猟犬の如く敏捷で、革の如く強靭に、鋼の如く純粋なドイツ軍人の長所を備えた人間のみが適していた。