我が闘争(抄訳)
『我が闘争(抄訳)』の全文誉れの傷痕
誤ってはいけないことは―我々の運動と相似点を多く持つ運動と合体したなれば、それだけ党の勢力が増大するだろうとなす考え方である。これは大きな誤謬である。量が大きくなることは、必ずしも増加せしめることにはならない。寧ろかかる合流は、自然の法則によって、党の凡てを弱化せしめるものと思うべきである。
確固たる大理想を持った強力な組織の偉大性、というものは絶対的な、宗教的狂信に依存していると見てよい。之は真に強い力である。飽くまで自分自身の正しさを確信し、他の何物をも恃む處なく、ぐんぐんと自己を他のすべてへ押しつけて行く恐ろしい力を持っている。
我々の反対者が、我々のこの運動に対して如何なる敵意を示してこようと、そんなものを恐れてはならぬ。かかる敵意が強ければ強い程、我々自身の存在が正当なものであることを証明して呉れるからである。寧ろ我々はかかる敵意や憎悪を手に唾して期待すべきであろう。
ユダヤ人の新聞等が、筆を揃えて侮辱したり、誹謗して来ないような人物は真のドイツ人でもなければ、真のナチ党員でもない。ユダヤ人の我々に加える痛罵や虚構は、ナチ党闘士の身体に刻まれたる誉の傷痕だと思へ。ユダヤ人から極端に憎まれたり目標とされる人物こそ、真に我々の友人である。若し今朝の新聞を見て、その中からこの名誉の傷痕を受け得なかったら、その人は前日に於いて有益な生き方をしなかったものと思うべきである。
以上が大体我が党の原則である。この原則が我々の運動に従事する人々の胸に、精神に、深く深く喰らい入ったならば、最早我々の運動は絶対無敵のものとなるであろう。