我が闘争(抄訳)
『我が闘争(抄訳)』の全文ドイツ帝国の瓦解
ドイツ帝国が瓦解した原因に就て、大部分の人々は、それが経済的な行詰りから来たものである信じている。だからして、ドイツの復活は、経済的な手段が奏効しない限り駄目だと思い込んでいる。
これは飛んでもない誤りである。真にドイツを救済するために経済が持つ役割は第二義、大三義的なものであるに過ぎぬ。最も必要なものはドイツ民族自身の熱血と道徳との中にあることを知らなければならない。
ドイツ民族の現在の不幸は、大戦に於ける敗北がその原因であると説くものがある。而るにこの同じ連中は別の舌で、若しドイツが戦争に勝ったとしても、その利益に預かる者は「資本家」ばかりで労働者や一般国民には何のお蔭もありはしないと触れ廻している。更にまたドイツの軍国主義は、所詮この国が大敗を喫しない限り叩き潰すことは出来ないと叫んだのもこの連中であった。そうして、革命のみが、ドイツ軍から勝利の旗を奪いとる革命のみが、ドイツ国民を救済する唯一の方法であるかの様に思い込ませたのだ。
果してこの革命がドイツ国民を救っているか。幸福にしているか。何と云う度し難い悪漢共であろう!
ドイツの軍隊の組織並びに統帥力は、恐らく過去に於て如何なる国のそれと雖も比肩出来ない程優秀なものであった。而もこの軍隊が一敗地に塗れたということは何のためであたか。そこには許すべからざる罪悪行為が働きかけていたからである。
ユダヤ人並びにその同類たる戦闘的マルクス主義者共は、祖国の為に身命を擲ち、死物狂いとなって戦ったところの忠勇なる将兵に避難の束を投げつけた。更にまたドイツ帝国の瓦解の元凶を嗅ぎつかれないために無数の虚偽と欺瞞とを捏造した。而も我等のルーデンドルフ将軍は敗戦の責任者と云う汚名の下に、巧みに之等の悪魔共に抹殺されて、遂にドイツの真の裏切者を摘発する力を奪われてしまったのである。
嘘と云えばこんな大きな嘘はない。嘘つきと云えばユダヤ人程の大嘘つきはない。しかし考えてみるに、これは大衆の心理を実に巧妙に把握し、操縦したものと云えるのである。何となれば、小さな嘘は大衆に勘付かれ易いが、それが大規模であればあるだけ、彼等に最早それを嘘として見破る力が失われるからである。
ユダヤ人達はこの点を充分に知っていた。知っていたばかりではない。彼等ユダヤ人そのものからして、既に一個の大きな嘘の集団だったのである。ここにドイツ軍の敗北の原因があり、ドイツ帝国瓦壊のダイナマイトが伏せられていたのだ。
―これらの二三について、実際的に発き出し、白日下に彼等の醜怪さを示すなれば―
第一が新聞である。新聞の読者層には、記事そのものを何等の批判もせずに鵜呑みにする人達と、いかなる記事にも信を置き得ないという段階に達した人々と、批判的に見て之に判断を下す人々とがある。而して最も広汎な領域を占めているものは、第一の無批判な読者層である。又新聞が絶対的な支配力を有するのも、この大衆読者層に対してである。
而るに大戦前のドイツの新聞は、有力なるものの殆んどがユダヤ人の経営するところであり、当然そこには彼等の計画を予定通りに進行さすための工作が絶間なく続けられていた。不幸にしてドイツの指導者はこの事への何等の対策をも持たなかったのである。それが帝国の瓦壊を招来した見逃すべからざる要因となっていたことは、厳たる事実である。
第二は性と結婚の問題だ。ユダヤ人が世界制覇を遂行する上に於て、常に武器として利用するものに性がある。性の悪党にある。彼等は、破壊せんと目ざす国民に対しては、先ずその性本能の誘惑へ手を差し伸べる。
大戦前に於けるドイツの梅毒患者は、全く戦慄的な数に上った。而も政府は之に対して最早拱手傍観、殆んど為す所を知らぬ有様であった。之は云うまでもなく恋愛の醜用から生れた結果である。安価な恋愛は、僅少の金銭で街の到る処に転がっていた。性の開放に就て間違った解釈が広げられ、開放ではなく放逸が流行した。そのために恋愛道が地に堕ちたのみか、次の時代に担って立つべき青年を、精神的にも肉題的にも極端な堕落に導いたのである。
この事実は誰しも気付いていたに違いない。しかし斯くあらしめたものに就ての考慮は、殆んど払われていなかった。一体何が斯うさせたか。今にして考えれば、人々は必ずこの事実の裏に隠されたユダヤ人共の周到な陰謀に心付くに違いない。
第三は芸術の頽廃である。健全なる国民には健全なる芸術がなくてはならぬ。然るにドイツの芸術家達が取上げたものは何だったか。それは最も恥ずべく、且つ軽蔑すべき未来派芸術ではなかったか。未来派芸術こそは何物をも人生に貢献するものではない。それはただ人心を頽廃に導くためにのみ生み出され、考案されたものに過ぎぬ。
ユダヤ人の芸術が、得意の宣伝に物を云わせてこれを流行させた魂胆は、云うまでもなく芸術の方面からドイツ魂の瓦解へ攻撃を加えたものであった。そしてそれはマンマと成功したのだ。ドイツの文化はこの会体の知れぬ芸術に惑乱されて、遂にその進歩を止めたのみか、いまわしい堕落の道を辿ったのである。
ドイツ帝国は軍艦一隻建造するために、六千万マルクの支出を躊躇なく可決したが、永久に記念すべき最高の建築、即ち国会議事堂の建築には、その半額をさえも出し渋ったのである。しかもその内部構造を如何にすべきかと云う問題に対して、愚かなる国会議員達は、人造大理石の使用さえも惜んで、漆喰の採用を可決した。之などは明かにドイツ文化の没落を如実に現わしている現象と云わなければならなかった。
最後にドイツ国軍頽廃の責任を発かなければならぬ。
大戦前に於けるドイツ帝国の対外体内諸問題を通じて、一貫していた態度は、実に優柔不断の四字に尽きると云ってよかった。凡てに臆病であった。それと云うのも、国民の先頭に立ち、国民を率いて行くべき責任を持つ議会そのものが、殆んど無能力だったからである。彼等は戦争を怖れて極端に之を避けようとのみ努力した。そかしその努力が反対に、ドイツを大戦に導く力になることを全然心付かなかったのである。
対ポーランド問題にしても、寔に中途半端なものであった。ローレン問題に対しても同様である。之等の問題に対して何等徹底的な解決方法を講じ得なかったために、ポーランドに於てはポーランド人を怒らせたのみか、ロシアをもドイツの敵として持たねばならなくされた。アルサス、ローレン問題に対しても、フランスに決然たる止めを刺すことを怠ったがために、アルサス人に何等の公正な利益を与えることも出来なかった。何れにしても国会が斯くも無能力であり、臆病であったと云うことは、大政党の党員中にウェッテルのような裏切り者や、売国奴が巣喰っていたからに外ならない。
この議会の頽廃が、ドイツ帝国の安危をその双肩に担うドイツ軍隊に対して、何等の影響をも与えなかったと云うのなれば、まだ我々はその罪を黙過出来たかも知れぬ。しかし事実はかかる国会の風潮は、著るしくドイツ国軍の士気を衰えさせたのである。
ユダヤ人達は、マルクス主義的民主主義新聞を総動員して、常にドイツ軍の軍国主義が誤っていることを叫び続けた。これは確かに軍隊の士気を沮喪せしめるものであった。絶対的な国民の支持なくして、どうして軍隊ばかりが強くあり得るだろうか。
陸軍のみではなく、この影響は海軍にも大きく現われていた。殊に海軍に於て不可なかったことは最高の司令官が完全にこの悪弊の洗礼を受けて了っていたことである。ドイツ海軍は常にイギリスで建造中の軍艦と同型のものを作ることに腐心していた。しかもドイツのそれは必ず英国の軍艦より一廻り小型の物を造って満足していたのである。
斯くてドイツ軍は、ドイツを独立させるための戦いに動員された。勇敢に戦った。その結果は巨大な犠牲のみを残した敗北であった。茲に於て思うに、如何なる平和時に於ても、真に祖国防衛の重責を関するなれば、軍隊のみならず、国民の総力を動員して、常に一分の間隙もない防衛陣を作って置かねばならぬと云うことだ。
ドイツ国軍の任務
とは云え、ドイツ国軍はその臓腑まで頽廃し、弱体化したものではなかった。ユダヤ人共が躍気となって、「軍国主義」を攻撃するには、攻撃され得るだけの力を持っていたことを物語っている。
当時のドイツが持っていた唯一の、而も最大の宝はと云えば、実にドイツ国軍だったのである。若しもドイツにこの国軍がなかったか、或は有っても無力に近いものであったなれば、ヴェルサイユ条約はあの大戦争を挨つまでもなく、疾の昔にドイツの決定していたに違いない。実にドイツ国並びにドイツ国民がその国軍に負っていたものは「あらゆるもの」であったと云うも過言ではない。
国軍は、あの無能無気力の時代に於てすら、国家に忠であり自己の責任を重んずる国民を作ることに全的な努力を傾けた。滅私奉公の精神を懸命に吹き込んだ。国軍は、真に国家を救うものが、イギリス人や、フランス人、支那人、黒人等とのお座なりな国際親善などにあるものではなく、ドイツ国民自身の団結と力とにあることを、徹底的に教えたところの国民学校でもあったのである。
特にドイツ国軍は、ユダヤ的民主主義者の大衆崇拝を否定して、個人の人格を信頼することに力点を置いた。このようにしてドイツは、兎もあれ毎年三十五万の真面目な青年を教育し、訓練して来たのであった。従って真のドイツ国軍の任務はその指導精神の中に見出される。そのことは、今日のドイツ軍隊に於ても亦主要なる指導精神たる価値を失わぬものなのである。