我が闘争(抄訳)
『我が闘争(抄訳)』の全文世界大戦の勃発
遂にこの不安や、悲しみや、諦めや、翅望に最後の断が下されるときが来た。突如としてバルカンの一角に巻き起こった大事件は、一瞬にして欧州全土に、漠々たる戦雲を巻き起こす大戦争となったのである。
オーストリアの皇儲フランツ・フェルディナンド大公が、セルビアに於いて一凶徒のために暗殺されたという報を耳にした時、私はひどくかけ離れた立場にいたため、細部に亘る事情を知ることが出来なかった。それがために私は、これはてっきりオーストリアのドイツ人が、ハプスブルク王家の親スラブ政策に憤激の余り、ピストルに依って天誅を加えたものに違いないと思った。と同時に、之は大変なことを仕出かしたと顔の色を変えたのである。
何故なれば、当時のハプスブルク家の親スラブ政策は、既に世界各国が是認していたからだ。この是認された事実に対して、ドイツ人が報復を加えたとしたら、恐らくドイツは全世界の非難を浴びなければならないからだ。しかし私は間もなくその暴漢が、セルビアの一青年であることを知った。この新しいニュースは、今度は私を戦慄せしめた。それはこの事件そのものが、裏切り者のハプスブルク王家に対して下された、最も峻厳なる神の復讐であることを意味していることを知ったからである。
激怒したハプスブルク家は、直ちにセルビアに対して宣戦を布告した。この宣戦を早計であったと評する者も多数あるが、それは誤りである。所詮いかなる国家と雖も、かかる一触即発の時機に於いては、斯くいう方法を採るより他に手はなかったろう。よしんば先ず外交交渉に依る解決点を見出だそうと努力して見たところで、それは結果を一時的に引延ばすに役立つだけで、破局を防止する力とは決してなり得なかったに違いない。
この時に於けるドイツとオーストリアとの外交関係は、極めてまずい位置にあった。両国ともに、どうしても避けることの出来ない問題(即ち戦争)を、平和主義者の寝言に災いされて極力避けようと努力して来たために、却って何等の準備も整っていない。最も不適当な時機に、大問題に直面しなければならなかった。
とまれ戦争は勃発してしまった。ドイツは同盟の誼を忠実に守って、オーストリアの敵を向こうに廻して戦うことになったのである。
この厳たる現実は、久しい間の私の憂鬱を吹き飛ばしてしまった。何故百年前に生まれなかったろうと髀肉の嘆に喘いでいた私の心は、初めて待望の時を恵まれて、雄々しくも勇み立ったのである。私は抑え難い感激の嵐に襲われ、髪に跪いて、斯かる時代を与えてくれたことに、心からなる感謝を捧げたのである。一切が叩き直される時機が来たのだ。これは単にオーストリア人やセルビア人だけの問題ではない。実に愛するドイツ人そのものの死活問題である。ビスマルクの政治は、遂に総決算たる戦争にまで押進まなければならなくなったのだ。