『我が闘争(抄訳)』の全文
未来の僧正を夢見る
私は自分の将来というものに対しては、格別何の煩うものを持たなかった。しかし父と同じ様なコースを辿って生きようという気はしなかった。小学校での成績は、自讃のようではあるが非常に優秀であった。小学校に通う傍らランバッハの修学院に入り、そこの合唱隊に加わったが、この合唱隊の勤めは素晴しい感激を覚えたものである。豊で荘重で厳粛な美しさに満たされた教会の祭礼は、私の幼い心を有頂天にせずにはおかなかった。殊にこの祭礼を司る 僧正 を見て、少年の心には押え難い憧がれが生れた。
私が最初に、将来の理想というものを持ったのは、実に僧正たらんとしたことだったのである。
しかし間もなくこの素晴しい理想は、次の理想へ席を譲らねばならなくなった。或る日私は、父の書斎で軍事問題に関する書物を見つけた。特にそれ等の中で、最も強く私の心を引つけたのは、千八百七十年からその翌年にわたって行われたプロシャ(昔のドイツ)とフランスとの間の、所謂普仏戦争に関する輸入書物だったのである。
これは素晴しい発見であった。私はこの本をまるで貪るようにして読んだ。読み進むに従って、最早私の理想の殿堂からは大僧正の姿は煙の如く消え去って、そこにはこの英雄的な偉大な戦闘への、煮え滾るような感激のみが渦を巻いた。私はいまや、戦争と軍国主義に関するあらゆるものによって生れて初めてこの大きな感激の洗礼を受けることになったのである。
しかしここに一つ、どうしても解け切れぬ疑問があった。それはドイツ人のプロシャが戦争に従事しているのに、なぜ同じドイツ人であるオーストリアの国民が、プロシャを助けてこの戦争に参加しなかったのであろうかということであった。ドイツのドイツ人と、オーストリアのドイツ人との間にどんな相違があるというのだ。
我々はすべて同じドイツ人に属していないというのであろうか。とまれ、幼い私の頭では、すべてのドイツ人が、必ずしもビスマルクの国家に属してはいないのだということが、解き難い謎であった。