我が闘争(抄訳)
『我が闘争(抄訳)』の全文
同盟の弱さ
もう一度同盟に就て考えよう。
同盟が弱化するのは、その同盟国が現状維持の保護者に転換した時から始めることを、我々は強調せずには居られない。同盟に真の力が存するのは、その敵に対して平戦何れを問わず攻勢を持っている時であって、一旦それが保守的、消極的な守備隊形に代るや否や、最早同盟たるの力を漸次失って行く。独墺同盟に就て考えても、世界大戦がハプスブルグ王家の側から起り、止むを得ず先ずオーストリアが戈を持って立上がらなければならなかったということは、ドイツにとっては物怪の幸いであった。若しあの戦争が他の方面で、他の方法で勃発したものであったとすれば、怖らくドイツはオーストリアの援助なんか到底受けられる筈はなく、独力以て敵に當らざるを得なくされたに違いない。独墺伊の三国同盟は、この大戦中にイタリアの同盟破棄に會い、大戦最中に独墺側に背を向けて去ったために、ドイツ人は極度に激昂したものであった。しかし若しドイツが最初にあの戦争の火蓋を切っていたとしたら、イタリアに嘗めさせられたより、も一つひどい寝返りをオーストリアのために味わされたに違いないのである。
何故かなれば、ハプスブルグ王家にとっては、独墺同盟など最早殆んど空文になっていたからだ。それに、ドイツのために味方になって多くの敵を向うに廻すということは、多数の異民族と異分子をその国内に包蔵するこの国として、殆んど不可能事であった。若しそんな挙に出たら、革命は直ちにこの国に勃発して、オーストリアは敢なく瓦解するにきまっていたからだ。だから、最もドイツに友好的なゼスチュアを示す場合にでも、先ず中立を守ること位が関の山であったに相違ない。
既にこの当時オーストリアは、少なくとも欧州各国に憎まれ者になっていた。その評判は極めて悪く、之に好意を寄せる国とては殆んどなかった。この不幸な国に対して同盟国の誼を心から通じていたのはドイツ帝国だけであった。その結果は、オーストリアの敵を、ドイツ自身も亦敵としなければならない破目になったのだ。
私は常にこの不幸な同盟、何一つドイツに利益を齎す筈のない同盟に対して、心から憂えていた。オーストリアはどんな角度から見ても、必ず早晩世界的惨事を惹起する危険性を孕んでいた。そのダイナマイトのような危険な国と同盟を締結しているドイツ、しかもその危険を感付いていないドイツの前途に対しては、全くハラハラするような危なかしさを感じていた。当然この同盟は一刻も早く破棄さるべきである。そうでなければ、オーストリアの瓦解する運命が、ドイツそのものをも巻添え的に崩壊させる、私は機会がある毎にこのことを人々にも強調して来たのであった。
然し私のこの心配が取除かれる前に戦争は始まってしまった。けれども私は、前線で激しい戦闘に従事しながらも、依然としてこの考えを捨てなかった。ドイツを救うためには、独墺同盟を破棄することは今からでも決して遅くはない。この同盟破棄か早いだけ早いだけ、ドイツは敵を少なくすることが出来ると信じて疑わなかった。