『我が闘争(抄訳)』の全文
大衆は思想の母
ハプスブルグ王家がそのスラヴ政策を護るために、深甚な決意を以てオーストラリア内からゲルマン主義を追い出そうとした時、そのために迫害されたわがゲルマン民族の反抗の焔は、ドイツ近世史上殆んど見ることの出来ない程激しいものであった。
この時始めて今日迄の愛国者が、反抗者と代ったのである。しかしこの反抗は、オーストリア国民に対する反抗でもなければ、国家に対する反抗でもなかった。ドイツ人は、ドイツ民族を迫害し滅亡させようとすることのみに専念している、この国の政府に対して反抗の火の手を上げたのであった。この反抗は、一国の政府が、その国民の希望を助け、若しくはそれを妨害しない限り、常に国民から尊敬され保護されるけれども、若し国民から希望を奪うような挙にでたならば、一朝にして怖るべき反抗を受けるのであることを明かに證明したものであった。この国民乃至は民族的な犯行は、單に民衆の権利であるばかりでなく、神聖な義務でもあるのだ。
然るにオーストリアの議会は、純然たる反ドイツ議会であり、絶対多数の非ドツツ人に依って組織されていた。従ってこの議会を通じてオーストリア内のドイツ系オーストリア人の運命を代えようと計ることなどは、全く絶望であった。何等か合法的な手段によって、この目的を貫こうと考えることしか出来ない愚か者達は、強力手段に依る打開の方法を極力抑圧することの努力していたが、若しも之等の人々の意見通りに行動するならば、それは全く百年清河を待つものであり、徒らにオーストリア国内のドイツ人を死滅の淵へ突き落すことにしかならなかったであろう。
人間の権力は、国家の権力の上に立つものである。人間なくして何の国家であるかだ。面してこの人間の権力を剝脱しようとする議会制度を破壊するには、二つの道が与えられてうる。その一つは、議会の内部から行われねばならぬものであり、他の一つは外部から敢行されねばならぬものである。しかし内部よりの破壊は殆ど絶望である。
唯一つの道として、外部から戦いを挑むには、最も責任ある勇気に依って武装し、非常に大きな犠牲を覚悟する必要があった。この道の前途には無数の障碍と、無数の打撃とが待ち受けている。しかしよしんば、一旦は彼らに依って地上に叩きつけられ、背骨を粉砕されたにしても、最後まで起き上って戦うだけの勇気がなければならぬ。かかる純粋な民族愛に燃えた闘争に於てのみ、勝利はこの不屈の精神と信念とを持つ攻撃者の側に微笑みかけるものなのである。
この外部からの闘争に欠くべからざる力となるものは、云うまでもなく民衆であり、且つ闘争の永続化のために、その子供達も亦同様に貴重なものである。しかるにこの大衆と大衆の子供を獲得しなければならぬと云う大切なことが、今迄のドイツ人運動者の頭に欠けていた。彼らは議会のみに依存し、議会に依ってのみ目的が貫徹出来るものと信じ切っていたのだ。
あの空虚な論壇(議会)に一体何が出来ると云うのだ。最大の、而して眞の論壇とは、かかる議場ではなくして、巷に開かれる大民衆大会である。我々はそこに、演説者に依って叫ばれる眞實の叫びを聞こうとする眞剣な顔付の民衆を、何千となく見出すことが出来る。然るに議会に於ては、人民から選ばれた数百名の議員と称する閑人達が、欠伸交じりの形式的討論をして、定められた一定の歳費を頂戴するために、だらくと出席していたに過ぎない。
尤もこの議会に於けるドイツ人の代表は、聲を嗄してドイツ人のために叫び続けた。それをしも眞剣ではなかったと云うことは出来ない。だが、その獅子吼が何を勝ち得たであろう。野次と、欠伸と、黙殺だけが徒らに演説者の勞を労らうのみではなかったか。
あらゆる政治運動に於て、その根幹をなすものは大衆である。大衆を完全に動かし得る指導者のみが偉大なる政治家と云うるのである。どんな有力な思想も、大衆の支持なくしては白紙に等しいものである。こんな分り切ったことでありながら、當時のドイツ人運動の指導者は、不覚にも之を見落していたのであった。