『我が闘争(抄訳)』の全文
身震いする憤激
ウイーンはまるで娼婦の都であった。ウイーン程ヨーロッパの中で、ユダヤ人と娼婦との関係が公然と行われているところは怖らく見られなかったであろう。娼婦の売買は殆んど公然として行われた。夜のレオボルトシュタットの小路を歩いて見給え、そこに諸君は応接に遑もない程な、之等のどぎつい色彩の光景を見ることが出来たであろう。然も之等の無数の娼婦を街頭で稼がせるところの親方が例外なくユダヤ人である事実を知ったとき、私は実に身震いする程の憤激を覚えたのである。
最早私の心の中からは、ユダヤ人に対する同情などは、片らもない程綺麗に姿を消してしまった。それ迄は控え目にしかユダヤを語らなかった私も、それ以後は進んで之を人に語る等になった。私はあらゆる機会を掴んではユダヤ人の研究を怠らなかったのである。そしてその私の研究の網へ、果然呑舟の大魚が引掛って来たのである。
ユダヤ人こそは社会民主主義の指導者であることを、今度こそはっきりと掴むことが出来たのだ。私の永い間の疑問は忽ち氷解した。最早私はユダヤ人に関する限り、過去のような捉われた何等の考えも持つ必要がなくなったのだ。
先ず私は、社会民主主義の疑問が、一つの例外もなくユダヤ人を依って支配されていることを知った。始め私は、その支配者がユダヤ人であると否とには、そう大きな関心を払ってはいなかった。しかしユダヤ人の支配する新聞が、どれ一つとして健全な国家的の思想なり理想なりを持つもののないことは私の注意を引くに充分であった。
素より私はこれらの新聞を腹の底から嫌ってはいたが、彼等を知り、彼等のマルクス主義を知るためには、堪え難い我慢をしても、これらの新聞に書かれた寝言を読まねばならなかった。しかし到底この忍耐は永続きするものではない。そこで私は方面を転じて、一体こんな寝言を書き並べる不埒な奴共はどんな顔触れであるかということを調べにかかった。ところが、編集者は勿論、主なる全ての人がユダヤ人であることに、先ず一驚を喫したのである。
次に私はマルクス主義に関するパンフレツトを、片っ端から買い求めて、その筆者を丹念に調べて見た。ここにも又ユダヤ人以外の者は一人も見付け出すことが出来なかった。更に私は、この運動の指導者の名前を調べた。果してここにも、主要なポイントは殆んど全部この「選ばれたる民族」によって独占されていることを知った。尚遡れば、国会の議員にもこれがある。労働組合の幹部、各団体の議長、街頭デモの扇動者等、何れも約束したように、この狡猾な選民が乗っ取っていた。かつて私が私の同僚から加入をすすめられてキッパリ拒絶した社会民主党も、やはりユダヤ陣営の一翼にすぎなかった事実をも又知ったのである。
ここに於て私は、ユダヤ人がドイツ人ではなかったということを、実にに大きな喜びを以て認識し直したのである。そればかりでなく、ユダヤ人こそは、我が愛するドイツ人の油断ならぬ誘惑者であることをも知った。
何にも知らぬドイツ人の労働者達は、この眼に見えぬ者の力に無自覚に操られて、無軌道な運動をさせられているのである。ドイツ人であることの誇りを忘れ、ドイツ国家を忘れてただ眼前の僅かな労働条件の向上や、寝言のような自由平等の声に引張り廻される哀れな同胞の姿を見ることは、私に取って身を切られるような悲しみであり、同時にユダヤ人への大きな憎悪となったのである。
このことを知ってから私は、何とかしてユダヤ人の猛省を促そうとした。その狂気じみた教養を反省させようとした。私は私の情熱を以て、如何にマルクス主義が世界破壊の怖るべき陰謀思想であるかを判らせようと思って、機会ある毎に、全く舌がこわばる程にまでこのことを説いたのである。しかしこれは私の幼い情熱の迸りに過ぎなかった。彼等は私の説得によって一応は理解が行ったかも知れないが、この自覚は却って彼等をして、その決心に武装をさせることだけにしか役立たなかった。