『我が闘争(抄訳)』の全文
赤への激怒
私のこの考えは最早決定的なものであって、如何にしても動かすことは出来なかった。しかし初めの中は、私は力めて私のこの考えを表面へ現わすまいとして、出来る限り冷静を保とうとした。だが遂に私はこの気持ちを凝っと押えて隠しておくことが出来なくなった。その手初めとして私は組合加入の勧誘をきっぱりと拒絶した。それから、更にこの組合運動を否定するものであることを告げ、次第に露骨に彼等の言動を反駁する態度に移って行ったのである。
このことは彼等をそのままにはして置かなかった。軈て彼等は、この小癪な反対論者が到底彼等の組合の味方にならないことを知って、奥の手の暴力行為を見せ始めたのである。厄介な理論に勝つ直接手段としては、之が最も簡単且つ有効な方法だと思い込んでいたのだ。
或日彼等から次の様な要求を突きつけられた。
「どうしても組合に加入しないのなれば、今の仕事を捨てて退くか、でなければ死を選ぶべし」
と云うのであった。私は腹の中では彼等の愚しさをせせら笑っていた。しかしどちらか一つの方法を撰ばなければならないことだけは事実であった。と云うのは多数の彼等に対して、私はたった一人の反対者だったからだ。私は勿論仕事を止める途を取った。斯う云う愚衆と直接力で争ってみても、何の得もないことは考えるまでもなかったからである。
私は全くむかつくような嫌悪の気持を抱いて彼等と別れた。之も人生かと思ったが、斯うしたことが許される現実の状態に対しては、いろんな疑問や疑惑が雲の如く湧き上がってきた。一体奴等はあれでも果して人間だと云えるのであろうか。偉大な民族の一部分だと云える価値があるであろうか。
斯う云う事件があってから間もなく、或日私はウイーンの街を延々長蛇の列をなして行進する異様な行列を見た。之こそウイーンの労働者達が、誤れる社会主義の操り人形となって、得々と行っているところの大示威運動だったのである。
何と云う愚にも憤ろしい行列であろうか。私は殆んど戦慄を覚えながら、二時間近くも、この無限の行進を見守ったのであった。名状し難い怒りが私の体内を馳け廻った。この憤激は、その帰途私に生れて始めての赤色新聞を購入させたのである。そしてその夜私は、まるで噛みつくような心持で無数の虚偽と煽動とに満たされたこの新聞を通読したのであった。
私は何が故に、多くの新聞紙の中から赤色新聞だけが素晴しい売行を示し、赤い書物のみが耽読せられ、赤色の集合のみが多くの聴衆を吸収し得るかと云う事情を始めて知ることが出来た。即ち大衆は、何事に依らず弱い手段や半端な方法で導かれることを望んでいないのである。丁度女が、弱虫の男を尻に敷くよりも、寧ろ強い男に服従するのを喜ぶように、極度に虐げられた大衆は、歎願者よりも、強力な指導者を愛するものであることをハッキリと知ることが出来たのだ。
大衆は開放的な自由を与えられることよりも、寧ろ敵を許さぬと云った風な強力な教導者の方へ、より大きな歓呼を浴びせるものである。
社会民主主義の指導者達は、このコツをよく呑み込んでいる。そして大衆の弱点を十分に知り尽している。この弱点を基礎として打建てられた運動であるということは、大衆を引張り廻すに持って来いの条件だったのである。従って彼等の運動は着々と効を奏して今や抜くべからざる地歩を築かんとしつつあった。
之を破砕するには、なまなかな手段や方法では駄目である。矢張り毒瓦斯に対してはより強烈な毒瓦斯を以て応酬するより外はない。彼等の成功を未然に防ぎ、且つ之を根底から顛えすには、理論に於ても闘争力に於ても常に彼等を凌駕する反対側の一団を作らなければ所詮望み得ないことである。
大衆は解放的な自由を与えられることよりも、寧ろ敵を許さぬと云った風な強力な教導者の方へ、より大きな歓呼を浴びせるものである。
社会民主主義の指導者達は、このコツをよく呑み込んでいる。そして大衆の弱点を充分に知り尽くしている。この弱点を基礎として打建てられた運動であるということは、大衆を引張り廻すに持って来いの条件だったのである。従って彼等の運動は着々と効を奏して今や抜くべからざる地歩を築かんとしつつあった。
之を破砕するには、なまなかな手段や方法では駄目である。矢張り毒瓦斯に対してはより強烈な毒瓦斯を以て応酬するより外はない、彼等の成功を未然に防ぎ、且つ之を根底から覆えすには、理論に於ても闘争力に於ても常に彼等を凌駕する反対側の一団を作らなければ所詮望み得ないことである。