我が闘争(抄訳)
『我が闘争(抄訳)』の全文六万人の聴衆
一九二二年の夏、共和国防衛法が施行された。この法律には全国の国際団体が勢い立って反対し、遂に反対運動の一大示威運動が、ミュンヘンのケーニヒスプラッツで行われることになった。
我がナチ党は勿論参加した。その日の党の行進は圧倒的なものであった。先ず百名ずつ六組に区分した突撃隊が先頭に立ち、その後へ我々の諸部隊が続いた。二組のブラスバンドは勇壮な行進曲を奏し、十五旆のナチ党旗は翩翻と翻えった。随分多くの集団がこの広場へ集まって来たが、その中で我が党だけが特に華々しい威勢を示した。何故かと云うに、堂々たる突撃隊員と、党を象徴するところの旗とは、他のどの集団にも無いものだったからである。
斯うした隊勢で広場へ到着すると、無数の人々は我々を迎えて爆発的な歓呼の声を浴びせた。そしてその日私は六万人の聴衆を前に置いて演説することの名誉を獲得出来たのであった。全くナチ党の成功は圧倒的なものであった。しかしその成功を齎した原因は、単に堂々たる行進振りであったと云うことだけの故ではなかった。その日我々が広場へと行進を続けつつあった時、我々の敵たるマルクス主義者共が、この行進を途中に擁して妨害しようとして来た。それを、忽ち我が突撃隊員が粉砕して、自今ナチ党は街上をも支配するぞという決断を見せたことが、一層皆の共鳴を得たからであった。