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試訳:マウトハウゼンとハルトハイムの「ガス室」文献資料解題

ロベール・フォーリソン

 

歴史的修正主義研究会試訳

最終修正日:2003109

 

本試訳は当研究会が、研究目的で、Fred A. Leuchter & Robert Faurisson, The Second Leuchter Reportから、フォーリソンの執筆したマウトハウゼンとハルトハイムの「ガス室」文献資料解題についての箇所を試訳したものである。
 誤訳、意訳、脱落、主旨の取り違えなどもあると思われるので、かならず、原文を参照していただきたい。

online: http://vho.org/GB/Journals/JHR/10/3/LeuchterFaurisson261-322.html

 

 

[マウトハウゼン関連]

    [ニュルンベルク裁判資料(1945年)]Document PS499, 8 May 1945. この資料の一部は "List of the Different Methods of Killing Inmates in Concentration Camp Mauthausen" (original language: German)を構成している。 p. 2:

 

ガス室。

病人、衰弱者、労働不適格者はときどき、ガス室でガス処刑された。さらに、絶滅予定の政治囚もガス処刑された。120名までの裸の囚人をガス室に押し込むことができ、チクロンBが投入された。死ぬまでに数時間かかった。SS殺人者たちは、ドアのガラス窓から進行を見守っていた。

 

    [ニュルンベルク裁判資料、フランス軍将校の供述(1945年)]Document PS-2285, 13 May 1945. Deposition under oath by Lieutenant-General Guivante de Saint-Gaste and by Lieut. Jean Veith, both members of the French army (IMT, XXX, p. 142):

 

K囚人は直接監獄に連れて行かれ、そこで服を脱いで、「浴室」に連れて行かれた。焼却棟の隣の監獄の地下にある「浴室」は、特別に処刑用(銃殺とガス処刑)に設計されていた。

銃殺は身長計測計によって行なわれた。囚人たちは計測計に背を向けて座り、身長を測る計測板が頭の上に届くときに、首のところに自動的に銃弾が打ち込まれたのである。

K囚人が数多く、「身長計」を使っては時間がかかってしまうときには、水のかわりにガスを放出する浴室で絶滅された。

 

奇妙なことに、二人のフランス軍将校は英語で宣誓供述を行なっている。しかし、この件については質問も反対尋問もなされなかった。アメリカの検察官Robert G. Storey大佐はこの供述を読み上げ、194612日の記録に残した。公式のフランス語翻訳には誤りがある。 (TMI, IV, p. 270).

 

    [ニュルンベルク裁判資料、ツィエライスの「自白」(1945年)]Document PS-1515, 24 May 1945 (original language: German).いわゆる「マウトハウゼン収容所長フランツ・ツィエライスSS大佐の供述」。ドイツ語でタイプされた20頁のオリジナル文書には、署名がない。「フランツ・ツィエライスは、2発の銃弾を受けて腹部と左手を負傷しており、藁の寝台に横たわりながら、二人の情報部員による質問に次のように供述した」とある。フランツ・ツィエライスは、68時間尋問を受けたあと、死んだ。この拷問のような尋問は、アメリカ第11装甲師団長Seibel 将軍(1989年の時点で、オハイオ州Defiance で存命中)の面前で行なわれた。二人の尋問官のうちの一人囚人ハンス・マルサレクは、現在オーストリアのウィーンで暮らしており、警察の高官で、マウトハウゼンについての多くの著書の作者である。

 

SS大尉Krebsbachの命令で、浴室に偽装された部屋がマウトハウゼン強制収容所に建設された。囚人たちは、この偽装された浴室でガス処刑された。…SS上級集団長グリュックスは、囚人を銃殺するよりも、ガス処刑をする方が人道的であるとの見解を抱いていたが、その彼の命令で、ガス室がマウトハウゼンに作られた。

 

この「供述」は、たとえば、ツィエライスの「横柄さ」といった尋問官のコメントで中断されている。そして、「さらに、ツィエライスは、自分の見積もりでは、1600万(??)ほどがワルシャワ、コヴノ、リガ、リバウ地方で殺戮されたと述べている」という一節で終わっている。

ツィエライスのハルトハイム城についてのコメントは下記の「ハルトハイム城」参照。

別の頁にはこうある。

1515-PSを使わないこと – この供述は、修整され、書き換えられている。3870-PSを参照。  [署名] D. Spencer.

 

    [ニュルンベルク裁判資料(1945年)]Document PS-2176, 17 June 1945. "Report of Investigation of Alleged War Crimes" by Major Eugene S. Cohen, Investigating Officer, Office of the Judge Advocate General (American Third Army). IMT, XXIX, pp. 308-314の中に抜粋がある。この報告は、マウトハウゼンとハルトハイム城についての基本的文書のようである。ワシントンの国立文書館、Record Group 238, "U.S. Counsel for the Prosecution of Axis Criminality Nuremberg Papers," Box 26の中に発見することができるが、大半の資料や証拠はわれわれの研究の時点では利用できなかった。証拠7577はツィエライスの陳述のようである。証拠216 "Specimen of poison gas used in the gas chamber at Mauthausen and Gusen No. 1 and No. 2" (実際には、チクロンB殺虫剤の缶)である。

 

    [ニュルンベルク裁判資料、フランス政府公式報告(1945年)]Document F-274, before October 1945 (original language: French). Official report of the French government, IMT, XXXVII, p. 118:

[ . . .]囚人はマウトハウゼンのガス室[複数形]で[殺された]、[ . . . ]

 

    [ニュルンベルク裁判資料、「戦争犯罪調査報告」(1945年)]Document PS-2223, 3 August 1945 (?). "Report of Investigation of Alleged War Crimes." 20の報告と宣誓供述書の中で、ポーランド軍の脱走兵であった二人の人物についての1945213/14日の報告が、マウトハウゼンとグーゼンでの彼らの経験に触れている。

 

200名を収容するガス室が、その他多くの犠牲者を処分した。多くの女性、その中にはサボタージュの嫌疑を受け、情報提供を拒んだチェコ人愛国者もいたが、彼らはそこでガス処刑された。

 

    [ニュルンベルク裁判資料、SS隊員の証言(1945年)]Document PS-2753, 7 November 1945 (original language: German). SS隊員Aloïs Höllrieglの証言、 IMT, XXXI, p. 93

 

私は、ガス処刑に伴う騒音に親しんでいた。

 

194614日、アメリカの検察官John Harlan Amen大佐はAlois Höllrieglを尋問した。Amenはガス処刑のメカニズムについてはまったく質問しなかった。マウトハウゼンのガス処刑に関するHöllrieglの「自白」は、アウシュヴィッツのガス処刑に関するルドルフ・ヘスの「自白」と同じような役割を果たした。この2つの事例では、Amen がカルテンブルンナーの有罪を立証する目的で、尋問を行なった。

 

    [ニュルンベルク裁判資料(1945年)]Summary of instruction, IMT, 20 November 1945. 何名かのフランス軍将校が、捕虜収容所からの逃亡を企てたのちにマウトハウゼンに移送された。IMT, II, p. 51:

 

彼らが収容所に到着すると、銃殺されるか、ガス室に送られた。

 

    [ニュルンベルク裁判で上映されたフィルム(1945年)]Document PS-2430: Nazi Concentration and Prisoner-of-War Camps: A Documentary Motion Picture, a film shown on November 29, 1945, IMT, XXX, p. 468.ダッハウについてのフィルムの抜粋とは逆に、マウトハウゼンのフィルムの抜粋には「ガス室」が登場してきていない。カリフォルニア州ハリウッドの海軍中尉の話にとどめている。彼は、収容所ではガス処刑が行なわれ、ドイツ軍の捕虜となったアメリカ陸軍将校もそのなかにいたと述べている。

 

    [ニュルンベルク裁判資料、囚人の尋問調書(1945年)]Document PS-3846, 30 November and 3 December 1945. Interrogation of Johann Kanduth, former prisoner, IMT, XXXIII, pp. 230-243:

 

彼らは首の後ろを撃たれた。女性もいた。ガス室で殺されたものもいた。[ . . . ] Gissriegel/彼は病人をガス室に連れて行った。 [ . . . ]. Altfudish [ . . . ] は女性たちを脱衣室に連れて行き、彼女たちがそこで服を脱いだのちに、次の30に連れて行った。彼女たちはガス室にいくことになっていた。[ . . . ]. 記録はマウトハウゼン強制収容所の囚人によって作成された。彼らは、銃殺、ガス、焼却、注射によって殺された。 [ . . . ]. [これらの記録]は真実である。23000名がガス室か移送中に殺されたが、正確な数字はわからない。 [ . . . ].[訪問中の]カルテンブルンナーはガス室で笑っていた。それから、人々はブンカーから連れてこられて処刑された。全部で3つの処刑方法があった。絞首刑、首の後ろに銃弾を撃ちこむこと、ガス処刑が行なわれた。埃が消えた後、私たちは死体を運ばなくてはならなかった。

 

1946412日、アメリカ検察官John Harlan Amenが、カルテンブルンナーを有罪とするために、この証言を読み上げた。 (IMT, XI, p. 324).

 

    [ニュルンベルク裁判資料、囚人の宣誓供述書(1945年)]Document PS-3845, 7 December 1945 (original language: English). A deposition under oath by Albert Tiefenbacher, former prisoner, IMT, XXXIII, pp. 226, 227, 229:

 

A: チェコ人の女性たちがガス処刑されましたが、その名前のリストを手に入れることはできませんでした。そのような記録を扱うすべがなかったからです。[ . . . ].

Q: ガス室は浴室に偽装されていたのを覚えていますか。

A. はい、私たちはガス室から死体を運び出すのをつねに手伝っていました。

Q. 部屋にはシャワー浴室がなかったのですか。

A. いいえ。冷水や温水がそこから出てくると考えられていましたが、水量の調整は部屋の外部で行なわれていました。そして、多くの場合、水は出てこないようになっていました。部屋の外にガス・ボンベがあり、そこから2つのガス・パイプが部屋に引き込まれていました。後ろ側に溝があり、この溝からガスが放出されました。

Q. シャワーからはガスは出てこなかったのですね。

A. シャワーはすべてふさがっていました。囚人たちが浴室に入っているという印象を作り出すために存在していました。

Q. [ . . . ]. 棍棒で殴り殺されたか、溺死させられた最後の800名を覚えていますか。

A. はい。人々はガス室に連れてこられ、温水と冷水が彼らにかけられ、整列させられて、死ぬまで殴られたのを覚えています。[ . . . ].

Q. カルテンブルンナーは[マウトハウゼンを訪問したヒムラーと]一緒でしたか。

A. カルテンブルンナーは暗い人物でした。私は焼却棟から彼を目撃しましたが、ヒムラーと一緒であったかどうかは覚えていません。ヒムラーは鼻メガネをかけていたので覚えています。[注意:ヒムラーは普通の眼鏡をかけている。]

 

1946412日、Amen大佐は、 A. Tiefenbacher の宣誓供述書からの短い話を、法廷で、カルテンブルンナーに読み上げている。その中で、Tiefenbacher は、マウトハウゼンで34回カルテンブルンナーを目撃したと述べている。カルテンブルンナーは、これは「まったくの虚偽である」と回答している。(IMT, XI, p. 325). Tiefenbacherは証人としては召喚されなかった。

 

    [ニュルンベルク裁判資料、囚人の証言(1946年)]IMT, VI, pp. 270, 276, 29 January 1946 (original language: French). マウトハウゼンに移送されたスペイン人亡命者F. Boixの証言。それはマウトハウゼンの「ガス室」に触れている。

 

    [ニュルンベルク裁判資料、マルサレク供述(1946年)]Document PS-3870, 8 April 1946 (original language: German). 1945523日にツィエライスは死亡しているが、その10ヶ月以上もあとで行なわれたハンス・マルサレクの陳述。See above, PS-1515. IMT, XXXIII, pp. 279-286. ハンス・マルサレクは次のように宣誓供述している。

 

私は11装甲師団(アメリカ装甲師団)司令官セイベル、前囚人で物理学者のコシェインスキ、名前不詳のポーランド市民の前で68時間、フランツ・ツィエライスを尋問しました。尋問は1945522日から23日の夜に行なわれました。フランツ・ツィエライスは重傷であり、彼の身体には銃弾が3発入っていました。彼は自分が瀕死であることを知っており、私にこのように語りました[ . . . ] 浴室に偽装されたガス室が、守備隊医師クレブスバッハ博士の命令で作られました。 [ . . . ]. 囚人のガス処刑は、クレブスバッハSS大尉の発意で行なわれました。 [ . . . ]. マウトハウゼンのガス室はSS上級集団長グリュックスの命令で作られました。彼は、囚人を射殺するよりもガス処刑するほうが人道的であると考えていました。

 

アメリカ検察官Amen 大佐は、1946412日に、この宣誓供述書の一部を読み上げた。 (IMT, XI, p. 330-332) カルテンブルンナーはこれに抗議して、マルサレクを証人喚問することを要求したが、マルサレクは出廷しなかった。19451946年以来、マルサレクはマウトハウゼンに関するナンバー・ワン証人、ナンバー・ワン専門家であるのだから、奇妙なことである。今日、彼は収容所の公式歴史家である。彼は、マウトハウゼンでのガス処刑のメカニズムについて尋問を受けたことも、反対尋問を受けたこともまったくない。

マルサレクによると、ツィエライスがハルトハイム城について何と証言したのかについては、「ハルトハイム城」を参照。

 

    [検事ショークロスの発言(1946年)]1946726日、イギリス首席検事Sir Hartley Shawcrossはニュルンベルク裁判で、アウシュヴィッツとトレブリンカでの「ガス室と焼却棟」だけではなく、ダッハウ、ブッヘンヴァルト、マウトハウゼン、マイダネク、オラニエンブルクでの「ガス室と焼却棟」にも触れている (IMT, XIX, p. 434)Shawcross 1990年の時点でまだ存命中で、ロンドンに暮らしており、イギリス上院議員である。

 

    [ヴィーゼンタール『マウトハウゼン強制収容所』(1946年)]Simon Wiesenthal, KZ-Mauthausen, Linz & Vienna, Ibis Verlag, 1946 (original language: German). ヴィーゼンタールは、彼のいうマウトハウゼン所長の「自白」をpp. 7-13に転載している。実際には、彼が転載しているのは、資料PS-1515である。しかも部分的な引用であり、奇妙な修正が加えられている。たとえば、ヴィーゼンタールは、 ワルシャワ、コヴノ、リガ、リバウ地域全体で殺された1600万という数字を「1000万」に減らしている(p. 13)。[注:本書53頁で、著者は、マウトハウゼンでドイツ人によって処刑された3名の囚人の様子を描いた図版――著者が描いた――を掲載している。これは偽造である。この図版は、194511月の『ライフ』誌50頁に掲載されている、アメリカ軍銃殺隊によって「スパイ」として処刑された3名のドイツ軍兵士の写真から作られたものである。][ハルトハイム城]も参照。

 

    [ライトリンガー『最終解決』]Gerald Reitlinger, The Final Solution, op. cit., p. 474:

 

58日、パットンの軍が収容所に入ったとき、ツィエライスは収容所内部で発見され、腹部を撃たれた。ドイツ語のわからないアメリカ軍将校の前で、瀕死の彼は自白を行い、それが囚人によって書きとめられたことになっているが、それはまったく信頼できないものである。

 

    Olga Wormser-Migot『ナチ強制収容所システム、19331945年』(1968年)] Olga Wormser-Migot, Le Système concentrationnaire nazi, 1933-1945, Presses Universitaires de France, 1968 (original language: French). この博士論文の筆者――ユダヤ人――は541頁で、マウトハウゼン収容所にはガス室が存在したという戦後のSSの自白、「証言」にもかかわらず、それを信用しておらず、このような告発は「神話にすきない」と書いている。また、多くの囚人がこのようなガス室の存在を否定しているが、残念ながら、その囚人たちの名前をあげることができないとも書いている。Olga Wormser- Migot はその懐疑心ゆえに批判された。とくに彼女を非難したのはPierre-Serge Choumoffであった。

 

    [イタリアの月刊誌の記事(1979年)]Vincente and Luigi Pappaleterra, November 1979, Storia Illustrata (an Italian monthly magazine), p. 78 (original language: Italian). この二人は、囚人たちがシャワー室で注がれたのは、水ではなく、小さな穴から放出された致死性のガスであったと論じている。しかし、このガスが何であったかは特定されていない。

 

    [『ユダヤ百科事典』マウトハウゼンの項目(1971年)]Encyclopedia Judaica, Jersusalem, 1971, article on "Mauthausen":

 

囚人たちは、ガス室がマウトハウゼンで建設されるまで、ハルトハイムの安楽死施設で注射によって殺された。

 

    Evelyn Le Chene『マウトハウゼン』(1974年)Evelyn Le Chene, Mauthausen, Pierre Belfond, 1974 (original language: English), p. 74:

 

マウトハウゼンのガス室は、必要なときにガス車から放出される一酸化炭素で満たされた。

 

    Edith Herman30年後の死の収容所の恐怖とぬぐいきれない記憶』(1975年)Edith Herman, Thirty Years Later Death Camp' Horror an Indelible Memory", Chicago Tribune, 4 May 1975, Section 1:

 

[Mayer] Markowitz 194554日には26歳であった。オーストリアの死の収容所マウトハウゼンに来てから3年経っていた。そこにはガス室はなかった。

 

    [アメリカ軍医療部隊隊員の証言(1978年)]Dr. Charles E. Goshen, M.D. (Professor of Engineering Management at the Vanderbilt University School of Engineeringは「事件が起こったときには合衆国医療部隊の大尉であった」。The Tennessean, 23 April 1978:

 

ユダヤ人が死んでいたので、ガス室を検証することになった。われわれは、監獄の建物の地下に、小さな気密室があり、その中には、致死性の毒ガスHCNの空のタンク、充満したタンクがあるのを発見した。

囚人=友人たちは、この部屋が2つの異なった目的で使われたと話してくれた。月曜日、水曜日、金曜日は、ベッドや衣服の害虫駆除が行なわれた。火曜日、木曜日、土曜日は、囚人の処刑が行なわれた。3つのガス室の中に犠牲者を発見したが、彼らは、SS部隊が逃亡する直前に殺されたにちがいない。

 

    Pierre-Serge Choumoff『マウトハウゼンのガス室』(1972年)]Pierre-Serge Choumoff, Les Chambres à gaz de Mauthausen: La vérité historique, rétablie par P.S. Choumoff, à la demande de l'Amicale de Mauthausen, Paris, Amicale, 1972. 1728頁で、この本の著者はガス室を扱っている。隣の部屋は、ガスを室内に送る制御室であった。ガスが何であったかは特定されていない。熱い煉瓦がガス室に入れられた。ガスは、白いラッカーで塗られた穴の開いたパイプを介してガス室に注入された (p. 19)。注目すべきは、このテーマを扱うすべての著者に見られることであるが、この著者も「ガス室」の写真を提示していないことである――2つの写真が例外である、1枚は2つのドアのうちの1つの外側を写しており、 もう1枚は、引き伸ばされているためにもっと劇的に見えるが、ガス室の内部のごく一部を写しているだけである――。チクロンBの缶の写真も掲載されている。8347頁では、著者はOlga Wormser-Migotを厳しく批判している。

 

    [マルサレク『マウトハウゼン強制収容所の歴史』(1974年)]Hans Marsalek, Die Geschichte des Konzentrationslagers Mauthausen: Dokumentation, Mauthausen Austrian Camp Organization, Vienna, 1980, republished, first edition in 1974 (original language: German); p. 211:

 

ガス処刑の前に、SS下士官が焼却棟の炉の一つで煉瓦を暖め、ガス室の隣にある小さな、分割された部屋にもってきた。このガス室には、テーブル、ガスマスク、パイプでガス室とつながっているガス注入装置があった。熱い煉瓦は、ガス注入装置のそこに置かれ、「チクロンB」の結晶が液体ガスになるのを促進した。室内にガスが充満すると、窒息死が1020分ほどで起った。

ガス室の2つのドアの1つについていた「のぞき穴」から事態を観察していたSS医師が、死の終了を確認すると、ガス室は換気装置によって換気され、ガスは戸外へと排出された。

1グループ30名ほどのガス処刑は、脱衣、「医学実験殺人」、ガス室からのガスの排気、死体の除去という手順であるが、1時間半から2時間半かかった。

 

マルサレクは、マウトハウゼンの「公式」歴史家とみなされている。 See above, PS-1515 and PS-3970.

 

    [イェフダ・バウアー『ホロコーストの歴史』(1982年)]Yehuda Bauer, A History of the Holocaust, Institute of Contemporary Jewry, Hebrew University of Jerusalem, assisted by Nili Keren, Toronto, Franklin Watts Publisher, 1982, p. 209:

 

マウトハウゼンではガス処刑は行なわれなかったけれども、多くのユダヤ人、ならびに非ユダヤ人が、ナチスが「労働による絶滅」と呼んだプロセスの中で死んでいった。

 

1988年、バウアーは、自分は「誤り」をおかした、それは次の版で訂正されるであろうと述べている(Documentary Archive of the Austrian Resistance, Das Lachout "Dokument," Anatomie einer Fälschung, Vienna 1989, pp. 33-34, which quotes a letter from Yehuda Bauer dated 2 September 1988)

 

    [コーゴン、ラングバイン、リュッケルル『毒ガスによる民族社会主義者の大量殺戮』(1983年)]Eugen Kogon, Hermann Langbein, Adalbert Rückerl, Nationalsozialistische Massentötungen durch Giftgas, Frankfurt, S. Fisher, Publisher, 1983 (original language: German):

 

中央収容所は19388月にリンツの東に設立されていたが、ガス室の建設は1941年秋にはじまった。ガス室は病院建物の地下にあり、焼却棟が隣接していた。それは、シャワー室に偽装された窓のない部屋で、長さ3.8m、幅3.5mであった。換気装置が設置されており、側壁の一部はタイル張りであった。気密可能な2つのドアがあった。電灯、換気、水の供給、暖房装置のスイッチは部屋の外にあった。「ガス房」と呼ばれた隣の部屋から、エナメルのパイプを介してガスが入ってきた。そのパイプは、壁に面する側の中に1メートルほどの長さに掘られている溝に埋め込まれており、この部屋のいる人々からは見えないようになっていた。

 

「このガス装置の痕跡は今日でも見ることができる」という記述は間違いである。

 

    Pierre-Serge Choumoffマウトハウゼンとグーゼンでのガスによる殺戮、オーストリアのナチス強制収容所』(1987)]Pierre-Serge Choumoff, Les Assassinats par à gaz Mauthausen et Gusen, camps de concentration nazis en territoire autrichien, Society of Mauthausen Deportees, 1987 (original language: French). 基本的に、この著作は1972年に刊行されたものと同一であるが、その混乱は大きくなっている。P.S. Choumoffは、ガス室について非常に混乱している。彼はまったく証拠も提供しておらず、技術者であれば当然質問するような事柄に関する技術的な詳細も明らかにしていない。やっていることといえば、「目撃者」(Kanduth, Ornstein, Roth, Reinsdorf, . . . )のいつもどおりの話を紹介しているだけである。彼は、収容所に殺虫剤の「チクロンB」が存在していれば、それが殺人ガス処刑の証拠だと考えているようである。Choumoffはマウトハウゼンの「ガス室」で3455名がガス処刑されたと見積もっている。

 

    [元囚人のインタビュー記事(1986年)]Michel de Bouard (former prisoner at Mauthausen), honorary dean of the faculty of letters at the University of Caen, member of the French Committee for the History of World War II, member of the Institut de France: statement made in an interview granted to Ouest-France, 2-3 August 1986, p. 6 (original language: French):

 

私は、1954年にLa Revue d'histoire de la Seconde Guerre mondialeに寄稿したマウトハウゼンについての論考の中で、ガス室のことを2回触れている。この件について考えてみる時間があったので、マウトハウゼンにガス室が存在したという考えを私はどこから手に入れたのかと自問してみた。私が収容所にいたときには、私も含めて誰もそのようなものが存在していると思ってもいなかったので、収容所での生活からではない。だから、それは私が戦後に受け取った「手荷物」からであったろう。そのように認められていたのである。そのとき、私の論考では、その記述の多くが脚注で確証されているのに、ガス室については脚注がひとつもないことに気がついた。

 

    [マウトハウゼンのガス室に展示されているパネル(19894月)]The plaque displayed in the Mauthausen gas chamber (in April 1989) says the following (English version):

 

ガス室は偽シャワーと水道管によって浴室に偽装されていた。チクロンBガスが、作業室からガス室のシャフト(右隅にある)を介して注入・排出された。ガスの導管は194544日の解放直前に取り除かれた。

 

ロイヒターのチームが1989410日にマウトハウゼンのガス室を調査したとき、博物館員は、シャフトについてのパネルの説明は正確ではないと述べた。ガスは隣の部屋につながっている穴のあいたパイプを介して注入されたと説明した。しかし、パイプは存在しておらず、その痕跡も発見することができなかった。博物館員は、部屋の作動に関する初期の説明は、ガスはシャワー・ヘッドを介して室内に注入されたという囚人たちの話にもとづいていたが、その話は、かなり昔に放棄されていると述べた。

 

    [『ホロコースト百科事典』マウトハウゼンの項目(1990年)]Yad Vashem, Encydopedia of the Holocaust, op. cit., article on "Mauthausen."この最新の百科事典は、マウトハウゼンのガス室についてきわめてあいまいである。 pp. 948, 950:

 

[…]ガス室は[…]シャワー室に偽装されていた[…]。[何名かのチェコ人女性が]集団でガス室に連れて行かれた。

 

 ここで、30の文献資料を挙げておいたが、それはマウトハウゼンの「ガス室」についての文献目録のスケッチにすぎない。研究者であれば、マウトハウゼン博物館、合衆国やドイツの文書資料館で文献にあたらなくてはならない。

 

 

[ハルトハイム関連]

    [ニュルンベルク裁判資料、ツィエライスの「自白」(1945年)]Document PS-1515,24 May 1945, op. cit.: [フランツ・ツィエライスは次のように述べたという:]

 

ローナウアー博士とレナウルト博士の命令で、手に終えない職業的な犯罪者が精神病患者としてリンツの近くのハルトハイムに送られ、クレブスバッハSS大尉の特別システムによって絶滅されました[…]。SS集団長グリュックスは、弱っていた囚人を精神病患者と分類して、リンツ郊外のハルトハイム城にあったガス室で殺すように命じました。ここでは、約100万、150万の人間が殺されました。問題の地域はハルトハイムと呼ばれ、パッサウの方向に10kmのところにあります[…]。[精神病患者]はリンツ郊外の地方施設に連れて行かれました。私[フランツ・ツィエライス]は、実際に精神病にかかっていた少なくとも20万の囚人とともに、私の見積もりでは(私は地下室にファイルの山があるのを見たことがあります)400万人ほどがガス処刑されたと思います。ハルトハイムの施設では一酸化炭素が使われました。処刑作業は、ローナウアー博士とレナウルト博士を別として、SSではなく、警察官にゆだねられていました。

 

    [ニュルンベルク裁判資料(1945年)]Document PS-2176, 17 June 1945, op. cit., Exhibit 213. この資料はワシントンの国立文書館で発見することはできない。Adam-Golebsk もしくはAdam Golebskiという名の囚人のものである。 Evelyn Le Chene はそれについて触れているし (Mauthausen, 1971, op. cit., pp. 104-107)Pierre-Serge Choumoff は、フランス語に翻訳して掲載しているようである(Les Chambres à gaz de Mauthausen, 1972, op. cit., pp. 40-42)Evelyn Le Chene Pierre- Serge Choumoff のいうところでは、この資料の作者は、次のように述べているという。すなわち、19441213日、20名の囚人とともに、ハルトハイム城を子供用の家に変えるために、マウトハウゼンからそこにやってきた。作業は18日間続いた。彼は、小さな浴室のような部屋を目撃した。鉄のドアはゴムで気密状態にされており、その留め金は頑丈で、可動式のボルトがついており、小さな溝があった。壁の下半分はタイル張りで、6つのシャワーがあった。この部屋から、1つのドアが別の小さな部屋につながっており、その部屋にはガス装置、ガス・ボンベ、いくつかの計量器があった。

 

    [ニュルンベルク裁判資料(194510月以前)]Document F-274, prior to October 1945, op. cit., p. 176:

 

何名かの囚人がマウトハウゼンからハルトハイムに連れてこられ、そこでガス処刑された。

 

    [ニュルンベルク裁判資料、ツィエライスの「自白」(1946年)]Document PS-3870, 8 April 1946, op. cit.: [フランツ・ツィエライスは次のように述べたという:]

 

ローナウアー博士とレナウルト博士の命令で、手に終えない職業的な犯罪者が精神病患者としてリンツの近くのハルトハイムに送られ、クレブスバッハSS大尉の特別システムによって絶滅されました[…]。SS集団長グリュックスは、弱っていた囚人を精神病患者と分類して、リンツ郊外のハルトハイム城にあったガス室で殺すように命じました。ここでは、約100万、150万の人間が殺されました[…]。ハルトハイムで殺された囚人の数は不明ですが、ハルトハイムに送られた民間人を考慮すると、ハルトハイムでの犠牲者の数は100万から150万です。

 

    [ヴィーゼンタール『マウトハウゼン強制収容所』(1946年)]Simon Wiesenthal KZ Mauthausen, 1946, op. cit. 著者はマウトハウゼンについてと同様に、PS-1515を掲載しているが、マウトハウゼンについてのこの資料に関する自分の見解と同じように、奇妙な修正を行なっている。(マウトハウゼンについての文献資料解題を参照)。

 

    [ライトリンガー『最終解決』(1971年)]Gerald Reitlinger, The Final Solution, 1971 (originally published in 1953), op. cit., p. 141:

 

ダッハウでは数百のアーリア人、ユダヤ人囚人が1942年初頭から、政治的な過去だけにもとづいて判決を受けたのちに、ハルトハイム城でガス処刑された。

 

    Olga Wormser-Migot『ナチ強制収容所システム19331945年』(1968年)]Olga Wormser-Migot, Le Système concentrationnaire nazi 1933-1945, 1968, op. cit. 著者は、「絶滅」の場所として、ハルトハイムについてはきわめてあいまいにしか触れていない (pp. 154, 538, 540)

 

    [『ユダヤ百科事典』マウトハウゼンの項目(1971年)]Encyclopedia Judaica, 1971, op. cit., article on "Mauthausen." マウトハウゼンの文献資料解題参照。

 

    Evelyn Le Chene『マウトハウゼン』(1971年)Evelyn Le Chene, Mauthausen, 1971, op. cit. 上記のPS-2176, Exhibit 213を参照。著者が作成したハルトハイムの平面図が105頁に載っている。

 

    Pierre-Serge Choumoff『マウトハウゼンのガス室』(1972年)]Pierre-Serge Choumoff, Les Chambres à gaz de Mauthausen, 1972, op. cit. 上記の資料PS-2176, Exhibit 213を参照。ハルトハイムの平面図は38頁に載っている。それは、マウトハウゼンの囚人Bahierからのものといわれている。日付は「194596日、リンツ」となっており、リンツの刑事警察のファイルにある (reference number T.G.B. N.R.K. 2081/85)

 

    [ダヴィドヴィチ『ユダヤ人に対する戦争、1933年-1945年』(1975年)]Lucy S. Dawidowicz, The War Against the Jews, 1933-1945, New York, Bantam Books, 1975, pp. 178-179:

 

殺されることになっている患者は[…]6つの「安楽死」施設(ベルンブルク、ブランデンブルク、グラフェネク、ハダマル、ハルトハイム、ゾンネンシュタイン)の1つに移された[…]。そのやり方はきわめて実践的で、きわめて詐術的であった。患者たちは、20から30名のグループとなって、シャワー室に偽装された部屋に導かれた。そこは普通の部屋で、気密ドアと窓を備えており、ガス・パイプが引き入れられていた。圧縮ガス・ボンベと制御装置が外に置かれていた。患者たちは、シャワー室に入るとの口実で、部屋に案内され、担当の医師によってガス処刑された。

 

著者はこのやり方の記述のもとになる資料をあげていない。

 

    [ハンス・マルサレク『マウトハウゼン強制収容所の歴史』(1980年)]Hans Marsalek, Die Geschichte . . 1980, op. cit., p. 213:

 

グループがガス室に入るやいなや、鉄のドアが閉じられ、ガスが注入されて、犠牲者は殺された。それから、部屋が換気装置によって換気された。

 

著者はこのガスが何であったのか特定していない。さらに、Vincenz Nohelという名のドイツ人がアメリカ人の手で絞首刑となる前に、「安楽死行動」の中で、30000名がハルトハイム城で殺されたと宣誓証言したと付け加えている。

 

    [コーゴン、ラングバイン、リュッケルル『毒ガスによる民族社会主義者の大量殺戮』(1983年)]Eugen Kogon, Hermann Langbein, Adalbert Rückerl NS Massentötungen. . . 1983, op. cit. すべての大量ガス処刑を網羅しているという本書では、ハルトハイムは『安楽死』についての章だけに登場する(62頁、7679頁)。使用されたガスが何であったのか(CO?)、犠牲者の数も明らかにされていない。

 

    [ヒルバーグ『ヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅』(1985年)]Raul Hilberg, The Destruction of the European Jews, 1985, op. cit., pp. 872-873. マウトハウゼンについてはガス室のことを言及していない著者は、ハルトハイムは、「ガス室を備え、化学的に純粋な一酸化炭素ボンベを所持するいくつかの安楽死施設」の1つであったと述べている。

 

    Pierre-Serge Choumoffマウトハウゼンとグーゼンでのガスによる殺戮、オーストリアのナチス強制収容所』(1987)]Pierre-Serge Choumoff, Les assassinats par gaz [ . . . ], 1987, op. cit.,はハルトハイムのガス室についてのデータをまったく提供していない。彼は、ドイツ人のVincenz Nohelの自白によると、マウトハウゼンとグーゼンからの8000名の囚人がハルトハイム城でガス処刑されたと述べている。

 

    [ハンス・マルサレク『ハルトハイム、安楽死とガス処刑の確立:マウトハウゼン強制収容所付属収容所』(1989年)]Hans Marsalek, Hartheim, Establishment for Euthanasia and Gassing: Accessory Camp to the KZ (Concentration Camp) of Mauthausen (abridged version for the Austrian Mauthausen Camp Community, translated by Peter Reinberg), 4 pages. Available at Hartheim Castle (1989). この小冊子は、30000名ほどがハルトハイムで「チクロンB」ガスによってガス処刑されたと述べている。

 

    [『ホロコースト百科事典』(1990年)]Yad Vashem, Encydopedia of the Holocaust, op. cit., には、「ハルトハイム」の項目がない。しかし、34245263295296811291408頁でハルトハイムに言及している。ハルトハイムで使われたガスはチクロンではなく、一酸化炭素となっている(1129頁)。犠牲者、とくに精神病患者は、ダッハウ(342頁)から、グーゼン(632頁)とメルク(968頁)といったマウトハウゼンの衛星収容所から移送されてきた囚人であった。

 

 

1988年の時点でのユダヤ系歴史家とガス室問題]

    Olga Wormser-Migot『ナチ強制収容所システム19331945年』(1968年)]Olga Wormser-Migot, Le Système concentrationnaire nazi 1933-1945, Paris, 1968 (original language: French). 「ガス室の諸問題」と題する章があり、それは3頁ほどである(541頁から545頁)。著者は、ダッハウとマウトハウゼンのガス室の実在を信じていない。

 

    [ダヴィドヴィチ『ユダヤ人に対する戦争、1933年-1945年』(1975年)]Lucy S. Dawidowicz, The War Against the Jews, 1933-1945, New York, Bantam Books, 1975.著者はダッハウとマウトハウゼンでのガス室とガス処刑について言及していない。

 

    [ヒルバーグ『ヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅』(1985年)]Raul Hilberg, The Destruction of the European Jews, revised and definitive edition, New York, Holmes & Meier, 1985. 31274頁におよぶ「決定版」の中で、ヒルバーグはダッハウとマウトハウゼンでのガス室とガス処刑について言及していない。

 

    [アルノ・メイアー『空はなぜ暗くならなかったのか』(1988年)]Arno J. Mayer, Why Did the Heavens Not Darken? - The "Final Solution" in History, New York, Pantheon Books. 1988, pp. 362-363:

 

ガス室研究の資料は、数少なく、信用できないものである[…]。知られているものの大半は、戦後の裁判でのナチスの役人や処刑人の供述、生存者と傍観者の記憶にもとづいている。証言はきわめて複雑な主観的要素によって影響されることがあるので、注意深く検証しなくてはならない。日記も数少なく、絶滅政策の作成・伝達・実行についての本物の文書資料も数少ない。しかし、今後、追加的な証拠が日の目を見るかもしれない。私的な記録や公式文書が出現するかもしれない。アウシュヴィッツとマイダネク、ならびに4つの純粋な殺戮センターは赤軍によって解放されたので、ソ連側の文書は、それが公開されれば、重要な糸口や証拠を提供することであろう。さらに、殺戮現場とその周囲の発掘調査も、新しい情報を提供してくれるであろう。

 

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『いわゆるヒトラー一派のガス室といわゆるユダヤ人の虐殺は、同一の歴史的嘘である。この嘘のおかげで、非常に大きな政治的・金銭的詐欺行為が容認され、そのおもな受益者はイスラエル国家と国際シオニズムであり、そのおもな犠牲者はドイツ国民―その指導者ではない――とパレスチナ民族全体である。』

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1980年代のイスラエルの戦略 この記事は1982年2月『Kivunim、A Journal for Judaism and Zionism』の第14号、冬季5742にヘブライ語で掲載されたものである。

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