『偽イスラエル政治神話』(14)

第2章:二〇世紀の諸神話

電網木村書店 Web無料公開 2000.2.4

第2節:ニュルンベルグの正義の神話 2

[法律の皮を被った化け物の恣意的な訴訟手続き]

 訴訟手続きの順序や方法は、勝利者のみで構成する検事の選択の場合と同様の原則、またはむしろ同様の無原則の上に成り立っていた。

[ニュルンベルグ]裁判所の規則は、つぎのように定義されていた。

●19条…当裁判所は、証拠管理に関しての技術的な規則に拘束されない。可能なかぎり迅速(英語の正文ではexpeditive[素早い]となっている)かつ形式的でない訴訟手続きを採用して、それを適用し、いかなる手段でも決定的な価値があると判断すれば認める。

●21条…当裁判所は、周知の事実に関しては証拠を要求せず、それらをすでに確認されたものとして扱う。同様に、同盟国政府の公式の記録や報告は、真正な証拠として認める。

 これはまさに法律の皮を被った化け物なのだが、その決定が、一九九〇年七月一三日に制定されたゲーソ=ファビウス法によって、聖列に加えられ、さわることさえも許されない歴史的真実の基準の地位を占めるに至っているのである。

[フランスのゲーソ=ファビウス法]

 ゲーソ=ファビウス法を具体的に紹介すると、一八八一年に制定された言論の自由に関する法律に、つぎのような24条b項を付け加えたのである。

《その罪を犯した者が、一九四五年八月八日のロンドン協定に付属する国際軍事裁判所規則9条に基づいて有罪と決定された組織の成員であるか、または同じ罪に関してフランス法または国際法に基づいて有罪と認定された個人であるかを問わず、同規則6条に基づいて決定された人道に対する犯罪の一つまたはいくつかを、23条に定められた手段を用いて否定した者は、24条7項で予め定められた刑(一か月から一か年の禁固、および二千から三〇万フランの罰金、またはこの二つの刑の内の一つのみ)によって処罰される。

 裁判所は以上に加えて、つぎの命令を下すことができる。

1、その決定を、刑法51条で予め定められた条件の下に、掲示させること。

2、同じく、刑法51条1項で予め定められた条件の下に、決定された罰金の限度内の費用で、出版または公報への掲載をさせること》

[米国に移住してきた外国人による偏った人員構成]

 このようなニュルンベルグ裁判所の訴訟手続きに対しては、アメリカの司法界の最も高い位置、すなわち、最高裁からさえ抗議の声が挙がった。

 まず最初に紹介するのは、ニュルンベルグ裁判所そのものの首席検事だったジャクソン判事である。イギリスの歴史家、デヴィッド・アーヴィングは、彼自身が最初は判断を誤っていたと認めながら、つぎのような証拠を挙げている。

《世界中のすべての著名な法律家はニュルンベルグの訴訟手続きを恥じている。疑いもなく、アメリカの首席検事だったロバート・H・ジャクソン判事は、この訴訟手続きを恥じていた。それは、私が読む機会を得た彼の“個人的日記”によって明らかである。……

 私は、アメリカ議会の図書館で(ジャクソン判事の)『回想録』を公開してもらう特権を得た。……ロバート・H・ジャクソンは、一九四五年五月、トルーマン大統領からニュルンベルグ裁判でアメリカの判事を指揮する仕事を委任された直後に、原子爆弾を使用するアメリカの計画を察知した。彼は自分に委任された仕事、いうなれば国家の名によって国家自身が犯した犯罪を追及するという仕事をするのは、居心地が悪くなった。なぜなら彼は、アメリカが、さらに重大な犯罪を犯そうとしていることに気付いたからである》(トロント裁判記録)[トロント裁判については本訳書「訳者はしがき」三三頁以下参照]

 トロント裁判で弁護士のクリスティーは、アメリカの最高裁の首席判事だったハーラン・フィスク・ストーンに関するアルフェウス・トマス・メイスンの著書、『法の柱石』の七一六頁を引用している。ストーンは、『フォーチュン』誌の編集長に宛てて、以上のような訴訟手続きを非難するだけではなく、それが“ニュルンベルグの高級リンチ・パーティ”〈high-grade lynching party in Nuremderg〉(トロント裁判記録)になっているという考えを記していた。

 アメリカの最高裁判事、ウェナストラムは、ニュルンベルグ裁判所の一つの法廷の裁判長だったが、すべての雰囲気と通訳、弁護士、検事などの振る舞い方に嫌気がさして、……早速に辞令を返上してドイツからアメリカに戻った。彼は、一九四八年二月二三日号の『シカゴ・デイリー・トリビューン』に、組織や訴訟手続きに関する彼の異議を発表している。彼が特に指摘したのは、《アメリカの国籍を取得するために移住してきた外国人[原注1]》による偏った人員構成と、憎しみに満ちた雰囲気であった(トロント裁判記録)。

原注1:ゴールドマン博士は、著書『ユダヤ人の矛盾』の中で、つぎのように確言している。《戦争中、世界ユダヤ人評議会はニューヨークにユダヤ人問題研究所を設立した。理事は二人の著名な法律家でリトアニアのユダヤ人、ヤコブとネヘミヤの両ロビンソンだった。彼らの努力によって、研究所は二つのまったく革命的な草案を練り上げることができた。すなわち、ニュルンベルグ裁判所と、ドイツの賠償である》

《主要な被告人として挙げられるホェス、シュトライヒャー、ポウルに関しても、彼らが拷問を受けたという事実がある》(トロント裁判記録)

[カチンの森・ポーランド将校虐殺事件の誤審判明]

 同盟国の調査委員の報告に証拠価値を認めるニュルンベルグ裁判所規則[前出の21条]の効能で、カチンの森で一万一千名のポーランド将校が虐殺された事件に関しても、それをドイツの犯行だと告発するソ連の報告が、一九四五年八月八日、勝利者たちによって異論の余地のない“真正な証拠”として採用された(ニュルンベルグ裁判記録)。

 ソ連の検事総長、ルデンコ将軍が、《異議の提出はないと信ずる》(同前)と公言できたのも、ニュルンベルグ裁判所規則21条あればこそである。

 ところが一九九〇年四月一三日[訳注1]、世界中の新聞が、カチンの犯罪はベリアの命令の下にソ連当局によって行われたものと報じた。

訳注1:日本では翌一四日に各紙が報じている。ただし、この時の報道は、ソ連当局が自認したことの報道であって、早くも一九四九年には、アメリカ下院・カチンの森虐殺調査委員会が設置され、一九五一~一九五二年に、ソ連の犯行とする報告を発表している。これらの経過を明記したドイツの歴史家、ウェルナー・マーザー著『ニュルンベルグ裁判』の初版は、一九七七年発行であるが、カチンの森に関するニュルンベルグ判決の否定は、どこでも非難の対象とはなっていない。ユダヤ人問題だけが特別扱いされているのである。

 ジュネーヴ大学のナヴィル教授は、死体を調査して、そのポケットから一九四〇年の文書を発見し、処刑が行われたのは、その時期だということを立証した。一九四〇年には、その周辺のスモレンスクはソ連の占領下にあった。

[六百万人という数字の証言者はイギリスのスパイ]

 ここで本書の主題、“偽イスラエル政治神話”の原点に立ち戻り、半世紀を経て後もなお、単に中東問題に止まらず、現在の世界にさらに重大な荒廃を及ぼしている虚偽の判定の一つ、六百万人のユダヤ人絶滅という神話について、その徹底検証に取り掛かろう。この神話は、すべての国際法の上に位置付けられている。アメリカに対しての、さらには国連を通じて、すべての現代の政治に対しての、とりわけ、パレスチナおよび中東におけるイスラエル国家のすべての不当な請求を正当化し、ホロコーストという言葉そのものが暗示しているように、神聖化する教義となっている。

 この数字は、ニュルンベルグ裁判所によって公式化され、それ以後、あるいは活字、あるいは音声による報道、文学、映画、学校で使われる教科書に至るまでの経路を通じて広められ、世論操作に役立ち続けてきた。

 ところが、この数字を支える証言は、たったの二つしかなかった。一つはホェトル証言であり、もう一つはヴィスリツェニー証言である。

 最初の証言は、つぎのようなものである。

《ニュルンベルグの判事に対して、ドイツ国中央保安局第4課の上級突撃隊司令官、ヴィルヘルム・ホェテルは、つぎのように答えた。〈一九四四年四月のことだった。一九三八年以来の仲の親衛隊の上級突撃隊司令官、アドルフ・アイヒマンと、ブダペストのアパートの私の部屋で話し合ったことがある。……彼は、自分が同盟国から戦争犯罪人に指名されていて、その理由は身に覚えのある何万人ものユダヤ人の命のことだと知っていていた。私が、どのくらいの数になるのかと聞くと、彼は、この数字は極秘だといいながら、彼が受けた報告から到達した結論として、様々な絶滅収容所で約四百万人のユダヤ人が殺され、他の方法で死んだユダヤ人が二百万人に達すると語った〉》(ニュルンベルグ裁判記録)

 二番目は、つぎのようなものである。

《彼(アイヒマン)は、喜んで墓場に飛び込むが、それは、身に覚えのある五百万人の命の印象が、彼に異常な満足をもたらしているからだと語った》(同前)

 この二つの証言については、ポリアコフ氏「後出。“ガス室”論争の禁止を提唱した絶滅論者]でさえもが、こう語っている。

《こんなに不完全な支えしかない数字で嫌疑者にされることについては、異議を唱えることが可能だった》(『第二次世界大戦の歴史評論』56)

 ニューヨークのヘブライ語新聞、『ダ・アウフバウ』の一九六五年一月三〇日号は、この時までにヒトラーの支配下にあった時期に受けた被害を名目とする・賠償・請求を実現した人数を、三三七万五千人と報道した。

[六百万人という数字に関する]最も重要な「証言」への付記として、この上なく完全で正確なのは、「秘密情報機関」の手先だったホェトルに関する実録である。イギリスの評論雑誌『ウィークエンド』の一九六一年一月二五日号は、ホェトルの写真を表紙に飾って、つぎの題の伝説を掲載した。

《“あるスパイの生涯”、事実は小説よりも奇なり、このナチの指導者の友人のボスは、イギリス秘密情報機関の長官だった》

“ニュルンベルグ裁判所”の法的な異常性に対して、アメリカの最高裁その他の大物法律家が唱えた異議の正しさを確認するために、ここでは単に、そこで蹂躙された実例の項目のみを示すが、これらは、すべての本来の訴訟手続きでは恒常的に確立されている規則なのである。

1、提出された「書証」[textes.記録]の真正さの証明および検証。

2、「証言」の証拠価値、および出所、それが獲得された状況の分析。

3、「凶器」の機能と効果を証明するための科学的鑑定。


(15)3.a.書証